明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

NOVA2019春号感想:格ゲー好きな人におすすめの作品も収録

 

NOVA 2019年春号 (河出文庫 お 20-13)

NOVA 2019年春号 (河出文庫 お 20-13)

 

 

『GENESIS 一万年の午後』も最近出たSFアンソロジーだが、ファンタジー作品も収録されているあちらに比べてこちらはガチSFが多いという印象。SFらしく猫が登場する作品が2作あり、小林泰三のSFミステリや虐待から子供を救う「マザー法」が施行されている未来社会を描く宮部みゆきの『母の法律』など見どころは多いが、個人的注目作は赤野工作『お前のこったからどうせそんなこったろうと思ったよ』。これは未来の格ゲー事情を扱ったSFだ。月と地球間ではどうしても77F(フレーム)=1.3秒の通信遅延が発生するという技術的限界があるのだが、光より早く通信をすることはできないので未来社会でも月と地球間ではどうしても「ラグい」対戦になってしまう。状況が変われば現在と同じ問題が未来でも発生する。これは古くて新しい問題なのだ。そんなわけで、この作品は恐らくSF史上最も○○Fという言葉が頻発する作品となっている。格ゲーに親しんでいない人には何のことかわかりにくいかもしれない。

模範的工作員同志/赤野工作 on Twitter: "NOVA「お前のこったからどうせそんなこったろうと思ったよ」の戦闘描写についてですが、ゲームを普段遊ばない読者の方は、こちらの差し合いの動画をご覧になっていただくと格闘ゲームがより一層楽しめるのではないかな、と思います。
https://t.co/4tY9USj8lf"

しかしここには未来社会独特の描写もある。つまり、格ゲーがリハビリに用いられているのだ。プロゲーマーが次々に誕生している現代日本ではあるが、格ゲーを用いたリハビリはゲームに慣れ親しんだ我々の未来には普通にありえることだ。ここで描かれている未来は絵空事ではない。ろくに手足が動かなくなり、台パンもベガ立ちもできなくなった歳でも格ゲーができる未来は幸せだろうか。格ゲーが人と人との触媒である以上、それがある未来はない未来よりも豊かであるような気はする。

伊東潤『江戸を造った男』感想:川村瑞賢の仕事はもっと知られるべき

 

江戸を造った男 (朝日文庫)

江戸を造った男 (朝日文庫)

 

 

見事に生きるとはどういうことか、その答えのひとつがここにある。

河村瑞賢。教科書などで一度は耳にしたことのある名前だ。
その業績は教科書的には「西廻り航路を整備し、大和川などの治水事業にも取り組む」と一行で書いてすませることもできるが、これらの事業の困難さはただごとではない。
何しろ河村七兵衛は一介の材木商であって、物流にも治水にも素人だからだ。

 

だが七兵衛には「人を動かす」という、他の商人にはない特技があった。
これらの大事業には人材を適材適所に配置し、多くの人の利害を調整していくことが必要になるが、こうした仕事には七兵衛は最適の人物だった。
実際、佐渡では気難しい船大工と造船の交渉に当たり、越後高田藩では用水路建設に反対する百姓と話し合いの場を設けている。
本書では若い頃口入屋をしていたことになっている七兵衛は人情の機微に通じているため、こうした難しい交渉事をスムーズに進めていくことができる。
七兵衛の交渉術は単に思い通りにことを進めるというだけではなく、そのベースには人に対する誠実さがある。冒頭で木曽の木を言い値で買い取っているところもそうだし、材木の販売の利益を明暦の大火で苦しむ人々の救済に当てるところなどもそうだ。こういうところで勝ち取った信頼こそが、商人にとっては大きな財産となる。
のちに大和川の治水事業に取り組んでいる頃に「川に金捨てる河村屋、代わりに川の泥すくう」と後に戯れ歌にまで歌われたというエピソードが、七兵衛の人間性を物語っている。私欲だけを追いかける者には大事は為せない。

 

脇役として出てくる新井白石の活躍も面白い。まだ無名な白石は明の治水技術書を翻訳し、その技術をもって七兵衛の治水事業に協力している。なんとなく堅苦しいイメージのある白石だが、若い頃はお家騒動に巻き込まれて浪人している苦労人でもある。それでも大志を抱き、七兵衛の事業を支える白石の姿は魅力的だ。後に「正徳の治」の時代を築く白石の統治姿勢は、あるいは七兵衛に影響を受けたものでもあっただろうか。

 

消費都市として膨張し続ける江戸を支えるには、河村瑞賢の作り上げた米の物流システムが必要不可欠だった。物流は裏方の仕事なので目立ちにくいが、このような人物の仕事はもっと知られてもいいのではないだろうか。幕府に命じられるままに懸命に働き続けた七兵衛が没したのは82歳。大往生といっていいだろう。80の歳には将軍綱吉にも面会し、武士にまで取り立てられた七兵衛の生涯は、悔いの残らないものであったに違いない。

明晰夢工房選・2018年のおすすめ新書ベスト5

今年もいろいろな本を読みましたが、今年読んだ本ではとくに新書が豊作だったので、2018年に発売された新書のベスト5を紹介します。このブログなのでどうしてもジャンルが歴史系に偏りますがそこはご容赦を。

 

呉座勇一『陰謀の日本中世史』

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保元・平治の乱関ヶ原の戦いに至るまでの歴史上の陰謀論を中世史の最新知見をもとに次々と論破していく本。著者は『応仁の乱』ですっかり有名になった呉座勇一氏。『応仁の乱』は経緯そのものが複雑なので多少読みにくさはありましたがこちらはかなり読みやすく仕上がっています。とくに本能寺の変の珍説奇説への批判はかなり力が入っているので、信長に興味のある方はぜひ一度手にとって見ていただきたいところ。

最終章の「陰謀論はなぜ人気があるのか?」も読みごたえがあります。陰謀論にはまる人に高学歴やインテリの人が少なくないのはなぜなのか、もこれを読むとわかります。陰謀論批判など学者の業績にはまったくならないにもかかわらず、呉座氏がこれを書かなくてはいけなかった理由もここに書かれています。

 

黒崎真『マーティン・ルーサー・キング 非暴力の闘士』

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キング牧師という人は有能な演説家だっただけではなく、冷静な戦術家でもあったことを指摘している本。非暴力のワークショップの解説で書かれている通り、非暴力とは学習できるものであることである反面、それを維持していくことの困難さについても思い知らされます。非暴力を「生き方」そのものとしなくてはならなかったため、その後半生では反戦もキングの掲げた目標であったにもかかわらずアメリカの「公的記憶」からはそれは削除され、あくまで「公民権運動の指導者」とされていることからも、非暴力を貫くことの困難さが浮かび上がってきます。

 

清水克行『戦国大名と分国法』

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岩波新書堅苦しい内容のものが多いというイメージがありますが、これはたいへん面白く読める本。戦国時代の分国法についての解説本ですが、ほとんど当主の愚痴に近い「結城氏新法度」や「日本版マグナ・カルタ」ともいわれる六角氏式目など興味深いトピックが多く、最終章では分国法などいらなかったのではないかという衝撃の結末が用意されています。戦国で最も整備されていたという今川仮名目録を作った今川氏が滅びてしまった事実を見ると、むしろ法整備に力を入れた戦国大名たちは時代に先行しすぎていたのではないかと思えてきます。法の支配が求められているのは、戦国の世が終わり平和になった徳川幕府の時代だったからです。

 

秋山晋吾『姦通裁判 18世紀トランシルヴァニアの村の世界』

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東ヨーロッパの辺境の村の生活を綴った新書を誰が読むのか……?と思うものの、手にとって見るとこれが滅法面白い。妻を三度も寝取られた田舎の領主の裁判の記録からトランシルヴァニアの村の生活を復元していくという内容ですが、18世紀という「啓蒙の時代」にもかかわらず魔女の力に頼って恋を成就させようとする人物がいたり、浮気相手との情事にふける間見張りに立たされる村人がいるなど、コザールヴァールという小さな村の生々しい人間模様が浮かび上がってくるのが見どころ。この領主は妻を奪われた被害者であるにもかかわらず、領民から馬鹿にされているあたり「男の生き辛さ」のようなものも垣間見えるのが読んでいてなかなかつらいところですが、それでも読んでしまうのは著者の筆力のなせる業。 大きな歴史の流れを扱うものも良いですが、こうしたミクロな生活に着目する本ももっと増えてほしいものです。

 

柿沼陽平『劉備諸葛亮 「カネ勘定」の三国志

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 史実に基づいて等身大の劉備諸葛亮の人物像を記述している本。タイトル通り三国志の「カネ勘定」や経済事情にも比較的多く触れているのでこの時代の経済政策について知りたい方には得るところの多い内容ではないかと思います。諸葛亮の統制能力は超一流であったこと、その能力は蜀という国家を「軍事最優先国家」に仕立て上げることに使われたことなどが書かれていますが、蜀の民衆が外来者である諸葛亮から押し付けられた負担の大きさを思うと、あまり彼の人物を讃える気になれなくなったというのが正直なところです。どんな出来事にも表と裏というものがあり、蜀の外征の影にどんな苦労があったのか?を知るためには大いに役立つ一冊です。

『GENESIS 一万年の午後』感想:これはSF初心者にもおすすめできる粒揃いのアンソロジー

 

 

カクヨムに公開されている名作短編『森島章子は人を撮らない』の秋永真琴の短編が読めるなら買わないわけにはいかない、というわけで手にとったSFアンソロジー。全体として科学や技術のあまりわからない私のような人間にも読みやすかったので、SF初心者にもおすすめできる短編集に仕上がっている。それぞれの作品の前には編集者による作者の紹介もあるので挙げられている作者名がわからない読者にも親切仕様。加藤直之と吉田隆一のエッセイも載っているが、こちらも面白い。

 

では、以下にそれぞれの作品の寸評を書いておきます。

 

・久永実木彦『一万年の午後』

叙情SF、とでもいえばいいのだろうか。人間により作られたロボット「マ・フ」たちが「聖典」に従い宇宙を観測し続ける様子を描いているが、情景描写が美しく、人間の存在しない世界であるにもかかわらず雰囲気がとてもウェットだ。「特別」であることを否定されているロボットたちだが、ある事件をきっかけに己のうちに感情らしきものが芽生えていく──というストーリーだが、最後の一行が実に視覚的で良い。タイトルを冠する作品にふさわしい品格をたたえた名作。

 

高山羽根子『ビースト・ストランディング

重量上げならぬ「怪獣上げ」がスポーツとして流行している世界を描いた作品。リフティングの選手とスタジアムの売店の店員の視点が入れ替わる形で話が進むが、奇妙な設定を楽しむタイプの話だろうか。キオスク店員とサーチャーのロボットとのやり取りに独特な味がある。

 

・宮内悠介『ホテル・アースポート』

宇宙エレベーターが存在するさびれかけた小国のホテルを舞台に展開するミステリ。トリックが多少SF風味というか、未来技術の関係する話になっている。どこか物悲しいホテルの雰囲気やオチの切なさも楽しめる良作。

 

・秋永真琴『ブラッド・ナイト・ノワール

とある事情から登場人物の多くがメガネをかけているお話。「王族」の王女様と吸血鬼の血を引く「夜種」の交流を描く物語だが、これはSFというよりはファンタジーよりの作品。ヒロインである王女様の健気さと無愛想だが王女様の願いを叶えることを第一に行動する主人公が魅力的。タイトル通り闇社会を扱った物語でもあるが、余韻を残すラストはむしろ『ローマの休日』に近い味わいもある(もちろんストーリーはぜんぜん違う)。

どういうものを書く作者か知りたい方はぜひカクヨムに公開されているこちらの作品を読んでみてほしい。

 

kakuyomu.jp

・松崎有里『イヴの末裔たちの明日』

AIの普及で失業者が続出し、かわりにベーシックインカムが完備した未来社会。唯一経験のある事務の仕事はなかなか見つからないので、治験ボランディアのアルバイトをはじめるがここで投与される薬の効果は実は……というストーリーだが、星新一ショートショートのような読後感が味わえた。幸せとは結局主観であるというなら、このような形でもたらされる幸せもまたアリということだろうか。

 

・倉田タカシ『生首』

タイトル通り生首にまつわる物語。全体として昨日見た夢について延々語られている雰囲気で、実際ストーリーのかなりの部分が夢の中で見た生首の話なのだが、それでも最後まで読んでしまうのは筆力のなせる業か。このアンソロジー中一番の怪作。

 

・宮沢伊織『草原のサンタ・ムエルテ』

全身を機械化した特殊部隊が、人間に憑依した地球外生命体と戦うアクションSF。この生命体に憑依されている少女ニーナは味方の側だが、このヒロインがキュート。今回は百合成分はないが、密度の高いSFバトルが楽しめる。この設定でもっと長編を読みたい。やはり未来の東北は秘境か……

 

・堀晃『10月2日を過ぎても』

 次々と災害が襲う大阪の日常を枯れた筆致で綴る作品。日記風の文章が淡々と続いているが、これは若い人には出せない味だろうか。周囲に多少災害の被害が出ようが、自分という小宇宙は何も変わらない──それが老境にさしかかった主人公の心中というものかもしれない。

 

『決戦!関ヶ原』感想:シリーズ第一作として十分な出来栄え

 

決戦!関ヶ原

決戦!関ヶ原

 

 

歴史アンソロジー集として8作目まで出版されている決戦!シリーズの最初の一冊。今はなき葉室麟がトリを務めていて、伊東潤天野純希などこのシリーズの常連もここに顔を揃えている。関ヶ原の東軍の武将3人、西軍の武将4人を主人公とする短編が収録されているが、それぞれの作品間でキャラクターが統一されているわけではないので、あくまで別々の作品として読まなくてはいけない。

 

伊東潤『人を致して』の完成度はさすがで、これまでずっと自分の思う通りに事を進められなかった家康の苦悩と執念が余すところなく描かれている。三成の凄みも十分に表現されているため、楽しめる作品に仕上がっている。

読後感の爽快さが印象に残るのが吉川永青『笹を噛ませよ』。主人公は可児才蔵だが、井伊直政のいい人ぶりが清々しい。これは結末の決まっている歴史のなかにオリジナリティを出すことが求められる歴史小説のお手本のような作品だ。

天野純希望『有楽斎の城』は、武勇とは縁遠い有楽斎が必死に武功を求める様を描く秀作。およそ武将になど向いていない長益の背負ってきた苦悩を思うと重苦しい気分になってくるが、その名を有楽町として後世に残したことを思えば、彼の苦労も多少は報われたと言うべきだろうか。

葉室麟『孤狼なり』は石田三成の驚くべき策謀を描く傑作。なぜ小早川秀秋があのような行動をとったのか、そしてなぜ西軍が敗北したのかをこのような視点から書いた作品はこれが初めてではないか。詳細は読んでもらうしかないが、結末が同じでも解釈を変えることで新しい「歴史」を描くことができるということをこの作品は教えてくれる。時代小説の名手は歴史を書いてもやはり一流だった。

 

saavedra.hatenablog.com

印象に残ったのはこの4作だったが、粒揃いだった『決戦!設楽原』に比べて多少当たり外れはあるように感じられた。とはいえ全体的にはやはり良く、このシリーズの最初の一作として十分に満足できる出来。

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このシリーズでは『決戦!川中島』もおすすめです。

キットカットに溝が刻まれているのはなぜ?『チョコレートの世界史 近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石』でたどるチョコレートの歴史

 

 これ一冊でアステカ帝国時代から現代までのチョコレートの歴史を気軽に学ぶことができるお得な本。チョコレートとは言っても現在食べられているような固形のチョコレートが生産されるようになるのは20世紀初頭からなので、この本のかなりの部分が「ココアの歴史」ということになります。

ココアやチョコレート産業を発展させたのが近代イギリスの産業資本家だったため、本書で扱う内容もイギリスのチョコレートが中心となります。有名なキットカットもイギリスのロウントリー社が生み出したものです。あくまでチョコレート産業についての本なので、ベルギーのチョコレート工房で作られるような家内工業的なものは扱っていませんが、大西洋三角貿易産業革命など、チョコレートを通じて世界史上の重要なトピックにも触れることのできる面白い内容になっています。

 

以下、本書の内容をまとめつつ、チョコレート産業の歴史をふり返ってみます。

 

アステカ帝国の「薬」だったココア

カカオ豆は中米を原産地としているため、この地では古くからカカオの栽培が行われています。繁栄したマヤ文明の遺跡の出土品には「カカウ」と書かれた土器があり、アステカ帝国ではカカオは貢納品としても納められています。カカオはアステカ社会においては神々への供物として用いられる一方で、貨幣としても流通しています。

アステカ最後の皇帝モクテスマ2世はカカオの飲料を好んでいましたが、アステカにおいてはカカオは特権階級の嗜好品でした。この時点ではココアには砂糖が入っていないため苦い飲み物で、疲労回復や精神の高揚などの効能を期待して飲む、一種の薬のようなものでした。

 

スペインのアステカ征服と大西洋三角貿易

スペインがアステカを征服した後も、カカオの貢納は続けられました。カカオ飲料を作ってスペイン人が儲けるためです。アステカの苦いココアはスペイン人の口には合わないので、スペイン人はこれに砂糖を入れて飲む方法を考え出しました。このカカオ飲料は1570~80年代に「Cacahuatl」「chocolatl」などと呼ばれるようになりました。「チョコレート」という言葉の誕生です。

  

砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書)

砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書)

 

 

メキシコでのカカオの需要が増えるにしたがい、黒人奴隷を使役するカカオ農園が各地に作られるようになります。 カラカスやカリブ海諸島、スリナムガイアナなどでカカオ生産が行われていますが、こうして作られたカカオは砂糖とともにヨーロッパに輸入されるようになり、大西洋三角貿易の一端を形成することになります。岩波ジュニア新書の名著『砂糖の世界史』ではこの大西洋三角貿易を砂糖の流通からくわしく解説していますが、ココアは生産・流通のあり方が砂糖ととても良く似ており、ココア飲料には砂糖が不可欠という意味においても砂糖とココアは「褐色の双子(精製されていない砂糖は褐色でした)」と呼ぶべき存在でした。

 

画期的なココア製法を開発したオランダのヴァン・ホーテン

 

近代世界システム論においては、イギリスに先んじてヘゲモニー国家(覇権国家)となったのはオランダです。オランダは18~19世紀にかけて市民向けにココアを提供するコーヒーハウスやカフェが増えていたため、より飲みやすいココアがが求められていました。

美味しいココアを作るためには、カカオマスから油脂を減らすことが必要になります。コンラート・ヴァン・ホーテンはカカオマスをプレス機にかけて油脂を50%から25%程度にまで減らすことに成功し、さらにアルカリ処理を加えて酸味を軽減させ、従来のものより格段にまろやかで飲みやすいカカオを作ることに成功しました。やがて動力源として蒸気を用いるようになったヴァン・ホーテン社は、本格的な近代工場の操業を始めることになります。

 

ココア産業を発展させたのはクエーカー教徒の使命感だった

 オランダにかわり、ヘゲモニー国家として世界史に登場するのはイギリスです。このイギリスにおいて、ココア産業の発展に力を尽くしたのがクエーカー教徒の資本家たちです。クエーカー教徒は都市部に多く居住し、信者間で婚姻を結び緊密なネットワークを作り上げているので、親族間で資本を融通して産業を発展させることが可能でした。自然治癒力に関心を持つクエーカー教徒にとり、鎮静作用や血行促進効果を持つココアは身近な存在で、これがクエーカー教徒がココア事業にとりくむきっかけともなっています。

19世紀後半にはイギリスのココアの技術改良が進んでいます。ジョージ・キャドバリーはオランダへ渡り、ヴァン・ホーテン社のココア圧搾機を購入してココアの品質を改良し、ロウントリーは1880年に100%ピュアな「エレクト・ココア」の開発に成功しています。かれらはいずれもクエーカー教徒です。

 

クエーカー教徒の強みは、ビジネスがそのまま信仰と結びついていることです。当時イギリスでは貧困者のアルコールへの耽溺が大きな問題となっていましたが、ココアビジネスを展開する禁欲的なクエーカー教徒たちはこれを解決するため禁酒運動を展開し、アルコールに代わる健康的な飲料としてココアを広めるべきだと考えていたのです。奴隷解放を唱えたり、貧困者の実態調査を行うなどクエーカー教徒は社会の改良に熱心に取り組んでいましたが、ココアの普及もまたこうした取り組みの一つでもありました。

 

 チョコレート工場で働くファクトリー・ガールの境遇

 20世紀に入ると、イギリスのココアメーカーは本格的なチョコレート生産を開始します。ロウントリー社は1909年にはチョコレートの箱詰めセットを売り出していますが、チョコレートを生産する上で課題となったのは、従業員の増加でした。ココア生産と違って多数の大型機械を必要とするチョコレート生産は多くの労働者が必要なため、ココアを作っていた頃のような家族的経営とは違う新たな労務管理の手法が求められるようになったのです。

かつてヨークで貧困の実態調査を行っていたロウントリー社は、老齢年金や遺族年金、失業給付金などを設けて社内福祉を充実させ、増大する従業員の生活保障に力を入れています。この頃女性の従業員も増加していますが、10代の女性労働者は「ファクトリー・ガール」と呼ばれ、お菓子の製造や仕分け、箱詰め作業などに従事しています。ロウントリー社で働いていた女性の多くは箱詰めをきれいに仕上げたり、チョコレートのデコレーションを考えることに喜びを見出していて、仕事は楽しかったと語っています。工場では部門ごとにダンスパーティーティーパーティーが開かれ、週末は工場内の各種クラブ活動で余暇を楽しむこともでき、女性労働者にとってはチョコレート工場は働きやすい職場だったようです。

 

キットカットの溝の秘密と"have a break"の意味

数千人の授業員をかかえる大企業に成長したロウントリー社が1935年に生み出したのがキットカットです。発売時は「チョコレート・クリスプ」という名前だったこの商品の特徴は「溝」にあります。キットカットはもともときつい仕事をこなす労働者階級が立ちながらカロリーを補給することを想定して作られていたため、すぐに割って食べられるようにあの溝が刻まれたのです。

この時代ですら、イギリスの名門イートン校の朝食でもビールが出されていたほどアルコールの摂取は日常的なものでしたが、アルコールへの耽溺は労働者の体を壊し、労働意欲を奪うためこれに代わるカロリー補助食品が求められていました。キットカットはアルコールの代替物としてはうってつけだったのです。ビジネスを通じて社会を改善するというクエーカー教徒の精神はここにも受け継がれています。

 

やがて第二次世界大戦が始まると、ロウントリー社では兵士への配給食としてのチョコレートも製造し、ジャングルでも溶けないチョコレートも開発しています。大戦後数年間はイギリスでは食糧不足が続きましたが、やがて食糧事情は改善し、キットカットは労働者のための「meal(食糧)」とは表現されなくなりました。変わって始まったのが、今でもキットカットの広告に用いられている"Have a break"路線です。

このコピーは1962年に作られたものですが、これはイギリスの大量生産・大量消費の始まる時期と重なっています。忙しい仕事の合間、午後に"Have a break"するという経済成長期のライフスタイルにマッチした商品として、キットカットは売り出されていったのです。日本ではロウントリー・マッキントッシュ社と不二家が提携して1973年からキットカットが発売されていますが、以来現在に至るまで根強い人気を誇っています。

 

糖質制限が叫ばれる現在では、チョコレートが健康的な食品だという感覚はありません。しかし、かつてはココアやチョコレートがアルコールに代わる「健康食品」であり、労働者の生活改善のために作られたという経緯は本書ではじめて知りました。世界中で受け入れられる商品には、やはりそれだけの理由があると言えそうです。

国立アイヌ民族博物館が2020年4月白老町ポロト湖畔にてオープン予定

企画展 キムンカムイとアイヌ

 

先週末、「キムンカムイとアイヌ」という企画展に行ってきました。

「キムンカムイ」とはアイヌ語で「山にいる神」の意味で、ヒグマのことを指します。

アイヌのマキリ(小刀)は美術品としての価値も高いのですが、今回は写真は撮らせてもらえず……

 

展示内容はかなり充実していて、アイヌの衣服や狩猟の写真、送り儀礼の飾りをつけたヒグマの剥製だとか、菅江真澄の描いた絵など無料で公開するのがもったいないくらいの内容だったと思います。

 

この企画展の会場で、国立アイヌ民族博物館のパンフレットをもらってきました。

この博物館がオープンする白老町のポロト湖畔ではアイヌ民族博物館が2018年3月まで運営されていましたが、2020年4月から新たに国立博物館としてオープンするとのことです。 

現在日本には7つの国立博物館がありますが、国立アイヌ民族博物館は北海道でははじめての国立博物館になります。

 

 

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館内のレイアウトはこの様になる予定。

2階にはシアターやカフェもあります。

展示のテーマは以下の6つです。

 

1.私たちのことば

アイヌ語という言語の紹介や日本語との関わり、アイヌ語地名の由来や口承文芸の紹介など

 

2.私たちの信仰

カムイ(神)を中心とするアイヌの世界観や自然観、死生観の紹介。

イオマンテなどの儀礼で使われる道具も展示

 

3.私達のくらし

AR技術を用いてアイヌの衣食住や音楽・舞踊、アイヌ文化の特色や地域差について紹介

 

4.私たちの歴史

アイヌの歴史の広がりを地図と年表が連動する「ヒストリーウォール」を使って紹介

 

5.私達のしごと

狩猟や漁労・最終・農耕など、アイヌの伝統的な生業について紹介

 

6.私たちの交流

交易品の展示からアイヌと周囲の民族との関わりを見ていく

 

 

http://www.ainu-museum.or.jp/kokuritsu/pdf/2020_kokuritsu03.pdf

これらの展示のほか、博物館の外にもアイヌ文化を紹介する空間ができます。

こちらのPDFには、博物館の外に「民族共生象徴空間」を作ると書かれていますが、ポロト湖畔では「伝統的コタン(集落)の再現」を行うとのことで、ここはアイヌの伝統的家屋(チセ)などを含めた狩猟や漁労などのアイヌの生活を復元する空間になるようです。

 

いまのところはオープンを待つことしかできませんが、元のアイヌ民族博物館からリンクされている『月刊シロロ』のバックナンバーの内容がかなり充実しているので、アイヌ文化を知るにはまずこれを読むと良さそうです。ハスカップアイヌ語だということはこれではじめて知りました。

 

saavedra.hatenablog.com

アイヌの歴史と文化の入門書としてはこれが一番おすすめです。ローマ帝国から伝わった伝説や沈黙交易中尊寺金色堂アイヌの金の関係など興味深いトピックを多く扱っていて、最後の章では差別についても簡潔に触れています。

 


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