グローバルヒストリーに基づく世界史入門として最適
1冊だけで「世界史の流れ」をおさえられる本はないものか、とけっこう長いこと探してたんですが、これが最適な一冊と思いました。
世界史は単に各地域の歴史をそれぞれ学ぶよりも、多くの国や地域が商業ネットワークで結びつき、複雑にかかわりあいながら展開していく様子を眺められるところに面白さがあります。この『教養のグローバル・ヒストリー 大人のための世界史入門』は、「交易」に力点を置き、古代から近代にいたるまでダイナミックに人・モノ・金が移動して歴史を動かしていく様を描き出すことに成功しています。
経済の話が中心なので文化史の扱いが少ないという弱点はありますが、これを読めば世界史の本当のおもしろさを体験できると思います。『砂糖の世界史』のように特定の商品が国の興亡を左右する話が好きな人には絶対のおすすめ、そうでない人にとっても良質な世界史の入門書として活用できる一冊と思います。
以下、本書の中でも興味を惹かれたトピックをいくつか紹介します。
バグダードとイスラーム・ネットワーク
交易をメインテーマとする本なので、本書ではイスラーム史においてもバグダードを中心とする商業ネットワークに注目しています。イアスラム教は開祖のムハンマド自身が商人出身であり、商業活動に肯定的でしたが、この本では特にアッバース朝第二代カリフ・マンスールの整備した道路に着目しています。
アッバース朝の首都バグダードからはホラーサーン道・シリア道・クーファ道・バスラ道と四つの幹線道路が伸びていて、ホラーサーン道は中央アジアに通じていて、長安にまでつながっています。この商業ネットワークがアッバース朝の繁栄を支えていて、バグダードの人口は最盛期には100万人を超えていました。増大する人口を支えるためメソポタミア南部で栽培されたのがサトウキビで、砂糖は西アジアの重要な特産品となります。やがて砂糖は近世において世界史を動かす重要な国際商品になりますが、その「前史」としての姿をすでにこの時代に見ることができます。
同時に、海上の交易路も整備されていきます。季節風を利用でき、遠距離航海ができるダウ船を操るムスリム商人は中国にも到達し、中国ではアフリカから連れてきた黒人奴隷の売買まで行っています。長安とバグダードは海陸双方のルートで連結され、どちらも国際商業都市として空前の繁栄を誇りました。砂糖と黒人奴隷という、のちに近世ヨーロッパにおける重要な交易品となるものがすでにイスラーム世界で商われていたことになります。
商業ネットワークを介して移動する病原菌
交易路を移動するのは人・モノ・金だけではありません。モンゴル帝国がユーラシアの大部分を制覇し、大陸内に駅伝のネットワークをつくりあげたため、もともとは東南アジアの風土病だったペストもこのネットワークを通り西方に伝わります。
ペストがマムルーク朝の支配するカイロにまで達すると、この都市に東方物産を求めてやってくるヴェニネィア商人の船とともに、ペスト菌が西ヨーロッパに伝わります。火薬はペストとともにモンゴル・ネットワークを通じてヨーロッパに伝わり、大砲・鉄砲に用いられて戦争のあり方を変え、騎士階級の没落をうながし、ヨーロッパ社会に大量の死をもたらしました。ペストも火薬同様ヨーロッパ社会に大量の死をもたらしましたが、当時の画家が画家が好んで「死の舞踏」を題材として取りあげたのもこのような世相が背景となっています。
明の海禁政策が生んだ倭寇と琉球王国
朱元璋が明王朝を建て、元をモンゴル高原に追放すると、明は周辺諸国に朝貢を義務づけて自由貿易を取り締まりました。自由な取引を認めると皇帝から交易という恩恵を賜るというありがたみが薄れます。朱元璋は漢民族の威信を復活させるため、周辺諸国の朝貢を求めていました。
朝貢貿易は自由な取引を取り締まる海禁政策なので、海上交易で生活している福建や広東の沿岸地域の商人は海賊となります。これらの人々が後期倭寇の中心勢力です。明は倭寇の取り締まりに手を焼いてましたが、北方ではモンゴルの侵入も激しくなっています。実はこれも朝貢貿易の影響です。明の朝貢貿易は周辺諸国に恩恵を与えるものであり、明にとって負担が大きかったため、明は朝貢の回数を制限します。するとモンゴルの利益が減ってしまうので、不満を持ったモンゴルの侵入を招いてしまったのです。倭寇とモンゴル侵入をあわせて北虜南倭といいますが、北虜も南倭も元をたどれば明の朝貢貿易が生んだものでした。
琉球王国についての記述にも興味深いものがあります。明の海禁政策で貿易を禁止された中国商人の活動の場として明が目をつけたのが琉球王国です。朝貢貿易は朝貢してくる国に与えるものが多く、明の負担が大きいため永楽帝の没後は朝貢回数が制限されていきましたが、朝貢を制限すれば交易も縮小します。朝貢体制を維持したまま交易を縮小させないため、明は中継交易国として琉球王国を育成しました。具体的には大型のジャンク船を与え、朝貢貿易で琉球が仕入れる中国商品を特産品になるようにしたのです。琉球は他の国にくらべて朝貢回数が多く設定されたため、絹や陶磁器などの多くの中国の特産品が琉球に集まり、これを求めてアジアの海洋諸国が琉球王国に押し寄せることになりました。北虜南倭とともに、海洋王国としての琉球王国もまた明の海禁政策が産んだものといえます。
断片的な知識がつながる面白さ
受験勉強のお供に、『教養のグローバル・ヒストリー』!
— きたろー (@kitaro_kyushu) 2020年1月17日
世界史論述を極めたい人にもお薦め! 今まで勉強した内容がつながりまくります! https://t.co/B5XnGPO4wB
今日も某東大院生から、世界史論述対策には『教養のグローバル・ヒストリー』が必読と言っていただいたので、ありがたく宣伝させていただきます(笑)
— きたろー (@kitaro_kyushu) 2019年6月30日
このように、本書を読めば世界史の断片的な知識が商業ネットワークでつながるので、かなり世界史の全体像が理解しやすくなります。サブタイトルには「大人のための世界史入門」とありますが、こういう内容なので大学受験の論述対策としてもかなり使えるようです。知識の羅列でも雑学でもない、ほんとうの歴史のおもしろさを高校生の段階で知ることができたらかなり有益だと思います (引用したのは著者の北村厚氏のツイート)。
巻末の参考文献が充実
この本ではさらに学びを深めたい人のために、巻末に多くの参考文献を載せてあります。とりあげられているのは山川出版社の世界史リブレットや新書が多いので、難解なものはあまりありません。
世界史全体については世界システム論の本が多いですが、国際商品についてはジャガイモやコーヒー、砂糖、茶、タバコなどをそれぞれ取りあげた本を紹介しているので、交易から世界史を理解したい読者にはおもしろく読めるものが多いと思います。興亡の世界史シリーズからは『モンゴルと帝国 長いその後』『東インド会社とアジアの海』などがとりあげられていますが、このシリーズの書評についてはこちらで書きました。
世界史リブレットシリーズの紹介も書いていますが、海域アジアや明の辺境の交易に興味があるなら『東アジアの「近世」』が役に立つと思います。