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戦国日本における「水軍」と「海賊」はどう違うのか?小川雄『水軍と海賊の戦国史』

 

水軍と海賊の戦国史 (中世から近世へ)

水軍と海賊の戦国史 (中世から近世へ)

  • 作者:雄, 小川
  • 発売日: 2020/04/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

戦国時代の「海賊」としては瀬戸内海の来島村上氏能島村上氏がよく知られている。ところで「海賊」とはなんだろうか。本書『水軍と海賊の戦国史』では海賊を海上活動を存立の主要基盤とする軍事勢力」と定義している。来島村上氏能島村上氏は海路の支配や廻船の運用・漁業経営や海上の軍役など、多様な活動をおこなっているが、海上交通への関与は暴力を伴うことがある。このため、これら村上氏のような海上勢力は古来より「海賊」とよばれていた。

 

一方で、これらの村上氏は「村上水軍」とよばれることもある。これは来島村上氏能島村上氏が上位権力と結びつき、「水軍」を構成することもあるからだ。この本では水軍は「軍事運用を目的として編成された船団」と定義される。毛利氏が村上諸氏を水軍に参加させているように、海賊は水軍の構成要素として重要な存在だ。だが、水軍が必ず海賊を必要としていたわけではない。この本で紹介している玉縄北条氏や伊勢の田丸氏のように、地元の海民を水軍として編成した例もある。

 

たとえば、玉縄北条氏の場合、戦国大名北条氏の一門として、相模国東部の支配を委任され、房総里見氏の海上攻勢を防ぎつつ、房総半島に渡海するうえで、独自に水軍を編成しており、当主座乗の大船まで所有していた。玉縄北条氏の所領は、三浦半島から神奈川湊周辺にも展開しており、この地域の海民や造船技術などによって、水軍を編成したのである。また、伊勢国衆の田丸氏(伊勢北畠氏庶流)も、南伊勢の沿岸地域に領域を展開し、志摩海賊の九鬼氏と同様に、織田氏羽柴氏から水軍としての軍役を求められた。このように、海賊でなかったとしても、所領に海浜・港湾などを有して、船舶や海民を軍事的に動員・組織する要件を満たしていれば、水軍の編成は十分に可能であった。(p13)

 

九鬼氏は織田氏と結びついた海賊で、織田水軍の一部を構成したが、上記の記述によれば織田水軍のすべてが海賊だったわけではないことになる。海賊は海上の戦闘に長けているため水軍として活動することも多く、水軍と海賊は近い存在だが、両者がイコールだったわけではない。

 

 

戦国時代の「海賊」としてはやはり来島村上氏能島村上氏の存在感が抜きんでているが、これは両者の自立性の高さによるものだろう。これらの村上氏は『全国国衆ガイド』では国衆と位置付けられており、単体で小規模な「国家」を形成していた。いっぽう、北条氏や武田氏も伊勢や紀伊方面の海賊を招いているが、こちらはあまり有名ではない。これら関東や東海に渡った海賊は村上諸氏とは異なり、海上権力としての自立性を持たず、主家から与えられた権限の範囲内で活動していたのだが、こうした在りようが海賊の「自由」なイメージにふさわしくないからだろうか。もっとも村上氏も江戸時代には自立性を失い、来島村上氏豊後森藩主に、能島村上氏は萩毛利藩の船奉行となっている。海賊として名をはせた村上氏の一部は、毛利氏の水軍として江戸時代を生きた。