明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

「表現の自由」などとっくになくなっていた令和日本

 

 

安田峰俊氏の『みんなのユニバーサル文章術 今すぐ役に立つ「最強」の日本語ライティングの世界』を読んだ。1記事2000万PVを叩き出した実績のある著者の本だけに、さすがにわかりやすい。安田氏が説く「プロの日本語」の書き方は超実践的で具体的、精神論は一切ない。句読点の打ち方から改行の仕方、無駄な文章のダイエット法、漢字をひらく方法まで網羅する親切設計で、これを実践できれば文章が格段に読みやすくなることは間違いない。そのうえビジネスメールの書き方やマッチングアプリのプロフ作成法・バズる記事の書き方まで教えてくれるので至れり尽くせりだ。これで1,100円(税別)ならコスパはかなり高い。ウェブで文章を書くすべての人におすすめしたい快著だ。

 

そんなお得な『ユニバーサル文章術』だが、ちょっと気になる箇所がある。この本の8章によると、令和日本の文章術には「表現の自由」がないというのだ。炎上するアニメやマンガの広告の話だろうか、と思ったら、もっと広いジャンルの話だった。安田氏はこの本のなかで、ネット炎上を研究している山口真一氏を紹介している。山口氏の考える炎上しやすい話題は以下の3つだ。

 

1.格差を感じさせる内容:食べ物、社会保障、所得格差など

2.熱心な人がいる話題:政治・戦争・自衛隊や他国の軍・皇室・宗教・ファンの多いコンテンツやスポーツなど

3.型にはめようとする話題:性別による役割分担など

 

アニメやマンガなどがジェンダー専門家に批判されるケースは3に該当する。専門家はしばしば「この作品のキャラクターはジェンダーステレオタイプ的な描写をされている」などと指摘する。つまり性別の型にはめられているということだ。以前はこうした指摘により、作品側が炎上することが多かった。だが最近はこれらの発言が、批判された作品のファンから逆に炎上させられることも多い。とにかくジェンダーの話題がネットの火薬庫であることは確かだ。誰もが自由に男女論について語れる空気はない。

 

 

だが、「表現の自由」はアニメやマンガだけの問題ではない。政治や戦争などもデリケートな話題であって、語り方次第では多くのバッシングを浴びるリスクもある。国際政治学者の細谷雄一氏も、そんな圧力を日々感じているようだ。有名アカウントとして政治と戦争双方について語り続けるのは、かなりのストレスなのだろう。細谷氏は周囲の人に恵まれているのでツイッターを続けられているそうだが、そうでないために発言をやめてしまった人もいるはずだ。政治や戦争を語る「表現の自由」は、環境に恵まれた人、メンタルの強い人だけのものになってしまったのかもしれない。

 

もっとも、私のように無名なアカウントが戦争について的外れなことを言ったところで、それほどバッシングを受けることもないだろう。ジェンダーの話題だって、要は差別的なことを言わなけれいいだけだろう、なにも難しいことはない、と思われるかもしれない。だが事はそう簡単ではない。誰も差別したつもりもなく、ポジティブなことしか言っていなくても、炎上するリスクはあるのだ。安田氏はこんな例をあげている。

 

男性が公の場で家事・出産・育児に言及する行為もリスクが高い。たとえ「今日は妻のためにカレーを作りました」「子供にミルクをあげたよ」といったポジティブな内容でも、「今日しか食事をつくらないのか」「いつも妻がおこなっているのにミルクぐらいでいばるな」など、怒りっぽい誰かによる理不尽な攻撃を誘発する可能性がある。(p285)

 

この例にはすごく既視感がある。似たような炎上例を私も何度も見たことがある。難しいのは、安田氏も指摘するとおり、これらの批判は一定の正しさを含んでいることだ。こうした女性側の批判から男性がなんらかの気づきを得ることはありえるだろうし、何より女性側にも批判する自由がある。育児中のパパは優しく見守ってあげて、などといったら、今度は女性側の表現の自由を奪うことになりかねない。かつては女性側が抑圧されていたのだから、今度はこちらが批判するターンだといわれたら、正面切って反論するのはむずかしいだろう。

 

kensuu.com

だが、問題はその批判の数なのだ。「炎上」と呼べるほどに多数の批判が集まれば、批判された側は心が折れる。あるいは反発する。炎上させられた側が非を認めていて反省していた場合でも、バッシングがあまりにひどければ反撃したくなる。反撃すればさらにバッシングが集中する悪循環が生じ、炎上ブルースは加速していく。この流れが、上記のエントリではていねいに解説されている。叩かれる側にも非はあるとしても、犯した罪と受ける制裁の量があまりにアンバランスだ。安田氏も炎上について、集団で行使される社会的制裁が明らかに「やりすぎ」だと書いている。嘆かわしい状況だが、起きてしまった炎上はコントロールできない。なら、はじめから炎上を避けるしかない。燃えそうな話題には言及しなければいいのだ。

 

こうした事情を踏まえたうえで「炎上」の回避術を述べるなら、いちばんいい方法は「センシティブな話題には絶対に触れない」ことだ。

政治やジェンダーの話題は、たとえ肯定的な言説であっても発言しない。ウェブ上で私生活や個人情報を開示する行為も、できるだけおこなわない。

身の安全を守るために、責任感ある大人が危ない行動をしないことは決して恥ではない。登山経験が浅い人が真冬の槍ヶ岳に軽装備で登ったり、英語ができない人が深夜に一人でニューヨークの地下鉄に乗ったりしてはいけないのと同じだ。(p287)

 

太字の部分は私ではなく安田氏が強調しているものなので、よほど強く伝えたいのだろう。ネットでは政治やジェンダーの話題は、真冬の槍ヶ岳なみに危険なものになってしまったようだ。もっとも安田氏は炎上を恐れて自分の表現を委縮させるのもバカバカしい、とも書いている。どうしても書きたいなら、リスクを恐れず書くしかないのだ。ただし、センシティブな話題に触れるなら周到な準備が必要だ。しかるべき根拠を用意し、入念なファクトチェックをおこない、ユーモアを交えて叩かれるリスクを下げる。これくらいの自衛策を用意するのがプロだ、と安田氏は説く。きっちり自衛したうえで紛争地へ飛び込むか、そもそも紛争地を避けるか。表現の自由とは、前者を選ぶ覚悟のある人だけのものになったようだ。

現代日本における表現の自由は、残念ながらすべての人間には保証されていない。「プロ」の覚悟をちゃんと持っている人が、戦わないと得られない権利なのである。(p288)