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読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

落ちこんだときはどんな本を読めばいい?寺田真理子『心と体がラクになる読書セラピー』

 

心と体がラクになる読書セラピー

心と体がラクになる読書セラピー

  • 作者:寺田 真理子
  • 発売日: 2021/04/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

古代ギリシャのテーバイの図書館のドアには「魂の癒しの場所」と書かれていたという。読書にセラピー効果があることは、古代人もよく理解していた。このことはさまざまな研究成果でも裏づけられていて、読書によりストレスレベルが68%も下がること、共感力の低いカウンセラーよりも本を読むほうがクライアントの経過が良好であることなどがこの本では紹介されている。こうした効果があるため、イギリスでは読書セラピーを代替療法として認定し、イスラエルでは読書セラピストが国家資格になっている。

 

読書セラピーにははっきりした定義はないが、著者は「読書によって問題が解決されたり、なんらかの癒しが得られたりすること」と定義している。なぜ、本を読むことでこのような効果が得られるのだろうか。この本では、「読書セラピーでできること」として、以下の4つをあげている。

 

1.対応能力の改善

2.自己理解の向上

3.対人関係の明確化

4.現実認識の深化

 

この4つはそれぞれ関連しているものだが、落ちこんでいるときには特に3が大事だと感じた。これは、「読書によって万人共通のものとしての感情を認識すること」だと解説されている。つらい経験をしたとき、そのつらさを味わっているのが自分だけではないと知ることで、人は孤独感から解放される。これが読書によるセラピー効果のひとつだ。

 

人間が孤独になるのは、つらいことを経験し、しかも「こんなにつらいことを経験しているのは自分だけだ」と思うときです。だけど読書をすることで、登場人物が自分と同じような経験をしていたり、同じような感情を味わっていたりして、「こういうことは誰にでもあることなんだな」と認識できます。たとえ登場人物がとった解決策が自分には当てはめられない場合でも、登場人物が奮闘していたこと自体が力になります。(p103)

 

落ち込んでいる自分にふさわしい本をみつけるために、この本では「同質の原理選書術」を紹介している。疲れているときに自己啓発書を読んでも余計に疲れてしまうから、今の自分の気分に合うトーンの本を選ぶという方法だ。ただし、落ちこんでいるときに重いトーンのものを読むのには注意も必要だ。そういう本を読みすぎると落ち込みから抜けられなくなることもあるし、自殺した著者の本を読むことでその思考に引きずられるこてしまうこともある。重いものを読んだ後は、少しづつ感情を引き上げていくことが大事だ。

 

感情を引き上げていく読書として著者がすすめているのは、「お気に入りのマンガの一気読み」だ。特に主人公が成長していくタイプのものなら自分の精神状態も高まっていく効果が期待できる。また、落ちこんでいるときはあえて関係ないジャンルの本を読むのもいいらしい。自分の悩みと関係ないものを読むことで、うまく気分転換がはかれるようだ。

 

読書セラピーには自分が欲しい要素をもっている作品を読むことで、その要素を自分に取り入れるという方法もある。決断力がない自分が嫌なら、即断即決で次々とチャンスをものにしていく主人公の作品を選ぶこともできる。でも落ち込んでいるときはここでも注意が必要になる。気分が下がっていると、自分の欠落した部分に注意が向いてしまい、すぐれた主人公と比較してかえってつらくなってしまうからだ。『うつヌケ』にはうつ当事者と思われる読者からの批判が意外と多かったが、これも自分と作中の登場人物の境遇を比較してしまうからだろう。

 

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私はこの本を読んで、永田カビ作品のようなネガティブな内容の多い漫画を読みたくなる理由をはっきり理解できた。気分が落ちているときは、そういうものこそが自分にふさわしいのだ。逆にいえば、今読みたい本によって、今の自分の精神状態を知ることもできる。人は必要とするものに心が惹きつけられるようになっているのだろう。どんな素晴らしい本でも、今の感情に合わないものは活かすことができない。病人は粥しか食べられないことがあるように、落ちこんでいる自分にふさわしい「粥」としての読書とはなにか、を意識するとその時の精神状態に合った本を摂取できそうだ。

ゲームさんぽの藤村シシンさんの動画は古代ギリシャ文化入門として圧倒的におすすめ

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ゲームさんぽの動画は面白いものが多いですが、藤村シシンさんはゲームさんぽに出演することを目的にしていただけあって、藤村さんが出ている回は解説の巧みさと気合の入り方が見事です。

一番新しい上の動画ではアサシンクリードオデッセイのDLCで出てくる死後の世界「エリュシオン」を見ながらギリシャ神話やギリシャ人の死生観、宗教などについて語っていますが、最初から最後まで見どころしかない回でした。

ペルセポネの頭に飾られた水仙からギリシャ神話におけるペルセポネの役割、ハデスとの関係性、ヘルメスの性格などが語られる部分ではギリシャ神話のカオスな魅力を存分に味わえます。「ヘルメスは軽い性格で後腐れなく別れるが、アポロンが関わると相手が死ぬか自分が殺すかになる」「ハデスは冷酷だが愛情で結びついている夫婦には弱い」といった話は神様のキャラ付けを明確にしてくれるので、ギリシャ神話への親しみも増すと思います。この動画はコメント欄のレベルも高くて藤村さんが返信していることもあります。

 

 

この回ではギリシャ人の宗教観についての話が特に面白く、藤村さんは古代ギリシャでは信心よりも行動が大事、という話をしています。心の中でいくら祈ってもダメで、極端にいえば信心などなくても儀式をちゃんとするほうが大事なのです。藤村さんは律儀に初詣に行く日本人とギリシャ人の共通性を指摘していますが、信仰を行動にあらわすのが大事、という意味ではイスラーム教にも似た面はあるかもしれません。

 

意外なことですが、ギリシャではじめて「魂は不死」と言い出したのがピタゴラスであることもこの動画で語られています。ギリシャの人々がエリュシオンの存在を信じ始めたのが、ピタゴラス以来なのです。生前の行いによって死後行く世界が変わるかもしれない、という考えがピタゴラスの影響によって出てきたので、藤村さんはピタゴラスの出現を日本における仏教伝来にたとえています。とはいえギリシャ人の考えもさまざまで、「魂に不死性があるなら人は神に近くなる、それは不遜だ」と考える人もいるのです。死後の世界があるのかないのか、あるとしてエリュシオンはどのような世界か、は個人によってかなり考えに差があったようです。

 

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古代ギリシャ人の宗教観を変えたピタゴラスがどれほどの超人だったかがこちらの動画では語られています。藤村さんが挙げるピタゴラス古代ギリシャでの設定はこういうものです。

 

・何度でも蘇る

・輪廻転生ができる

・イケメン過ぎて川が挨拶する

・矢に乗って空を飛べる

ピタゴラス教団の創始者

・娘がオリンピック選手と結婚

 

というわけで、とうてい数学者という枠だけにおさまる人物ではありません。上の4つはほぼ伝説ですが、このように神話と史実がときに混ざってしまうところにも古代ギリシャの魅力があります。もっとも、藤村さんによれば古代ギリシャ人もこうした神話や伝説をすべて信じていたわけではなく、現代人と同じように疑うこともあります。ギリシャ神話の神々はゼウスのように浮気性だったり、時には犯罪すら犯すので、こんな神を信じてもいいのかと葛藤もするのです。古代人だから迷信深いとは限りません。ピタゴラスが生きていたのはアサシンクリードオデッセイの時代(ペロポネソス戦争の時代)より200年くらいさかのぼるので、なかば伝説化されていましたが、同時代に生きているソクラテスについては特に伝説らしいものはありません。あるのはせいぜい「悪妻伝説」くらいのものですが、時代が下るにつれて人間の評価も現実的になっていくのは興味深いところです。

 

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【感想】ゆうきまさみ『新九郎、奔る!』7巻が描き出す疫病流行と室町時代の「健康格差」

 

新九郎、奔る! (7) (ビッグコミックススペシャル)

新九郎、奔る! (7) (ビッグコミックススペシャル)

 

 

『新九郎、奔る!』のおもしろさは言語化しにくい。7巻の時点でも新九郎はまだ若く、本格的な戦いを経験したこともない。領地経営の苦労話も地味だし、舞台背景となる応仁の乱も英雄らしい英雄も出ないままだらだらと続いてしまっている。それほどこちらの心を激しく揺さぶってくる出来事がたくさん起きるわけでもなく、比較的淡々とストーリーは続いている。新九郎が伊豆に討ち入り、華々しい活躍をするのはまだまだ先のことになるはずで、しばらくは荏原での新九郎の苦闘の日々が続くことになりそうだ。

 

それでもこの漫画を読みすすめてしまう理由はなんなのか。ひとつには、新九郎の目を通じて描かれる室町末期の政治や社会のディテールの細かさ、解像度の高さにあるのだろう。新九郎はまだほんの若造にすぎず、政局を動かせる力などない。だが、ゆうきまさみは彼を細川勝元山名宗全などの大物と絡ませ、これらの政治家の実態をときにユーモラスに、そしてシニカルに描いてみせる。7巻での宗全は68歳と当時としては高齢ではあるものの、80歳にもみえるほどの老けこみようだ。そのせいか宗全も少し弱気になり、本心では勝元との和睦を望んでいる。平和や大義のためなどではなく、こうした生々しい理由で戦乱が収束に向かっていくところがなんともリアルだ。そう、このような「室町のリアル」を新九郎の目を通じて体験させてくれるところに、『新九郎、奔る!』の愉しみがある。

 

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老境に入った宗全は一族の行く末が気になる。細川勝元家督を実子の聡明丸と野州家から迎え入れた勝之のいずれに継がせるか悩んでいるが、ここで伊勢貞宗は新九郎に問題を出す。お前なら誰に家督を継がせるか、というのだ。筋道からいえば先に嫡男と決めた勝之を跡継ぎにするべきだが、聡明丸は山名家の血縁だ。勝元が宗全と和睦する気なら、跡継ぎは聡明丸の一択になる──と貞宗は説く。このように、新九郎は室町の複雑な政局をながめつつ、当主は政治家としてどう立ち回るべきか、を学んでいく。さまざまな形で人の欲望が噴出した応仁の乱は、新九郎にとって政治を学ぶ最高の「教材」だっただろう。戦国大名としてしたたかに生き抜いた早雲の原点はこの大乱にあるのかもしれない。

 

だが、新九郎が学ばなくてはならないのは政治だけではない。彼は備中荏原郷に所領をもつ「経営者」でもあり、政界遊泳にだけ長けていればいいわけではない。民の生活も苦しさも知らなくてはならない。荏原で新九郎はこれまでもさまざまな苦労をしているが、7巻ではじめて疫病が身近に迫ってくる。京における疱瘡の流行は本格化し、社会的弱者から先にその命を奪っていく。新九郎も身内の不幸を通じ、疫病の恐ろしさをその身で感じた。

 

京での疱瘡の流行はすさまじく、後土御門天皇すら感染してしまっている。『応仁の乱』は、疱瘡が流行する京の惨状をこのように記す。

 

応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)
 

 

文明3年(1472)七月、京都では疱瘡が大流行した。十四日に経覚が一条兼良に聞いたところによると、烏丸季光、武者小路種光、日野勝光の息子などが疱瘡によって死去したという。疱瘡は地方にも広がり、人々は恐怖におののいた。お札に「麻子瘡之種我作」と書いて背中に貼れば疱瘡にかからないというおまじないの存在を知った経覚はさっそくお札を作って、周囲の人間に配っている。

同二十一日には後土御門天皇が疱瘡にかかり、治癒の祈禱がおこなわれた(「親長卿記」「宗賢卿記」「内宮引付」)。翌八月には足利義尚が病に倒れた。この頃、足利義政日野富子夫妻は喧嘩をして、義政が小川の細川勝元邸に、富子が北小路殿に移っていたが、息子の重病を知ってあわてて室町殿(将軍御所)に戻っている。しかし、この二人も流行病にかかったらしく、腹を下している(「経覚私要鈔」「宗賢卿記」)。(p180)

 

応仁の乱』によれば、文明3年の疱瘡と赤痢の大流行は「旱魃と戦乱のダブルパンチによるもの」だ。飢餓と軍事徴発で食糧が不足し、大量の餓死者が存在したことが衛生悪化を招き、疫病の温床になった。多くの人が飢えていて抵抗力を欠いていため、命を落とす人が続出した。将軍までもが感染していることが、状況の事の深刻さを物語っている。

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だが、疫病は誰にでも同じ力でふりかかるわけではない。高貴な者は栄養状態がよく、免疫力も高いため生き残る確率も高い。河原者など貧しい者は次々と命を落としているのに、義政は無事回復している。このような残酷な「健康格差」までもさらりと描いてみせるのも『新九郎、奔る!』の魅力だ。これもまた「室町のリアル」なのだが、こうした厳しい世界を描きつつもあまり深刻な読後感にならずにすむのは、ゆうきまさみのどこか軽妙な作風のおかげでもある。

 

これほどの災厄をもたらした疫病を前にしても、義政は「生き死には仏神の裁量なのだ」とどこか他人事だ。一方、身内を病で失った新九郎にとり、疫病はまさに自分事だ。疫病だけではない。城の装備品をみずから点検し、家人に雑巾がけの指南をし、読み書きまで教える新九郎にとってはすべてのことが自分事だ。政治に倦み、虚無的になっていく義政と、下々の者の生活に細かく気を配る新九郎は好対照をなしている。それは落日を迎えた室町幕府と、やがて台頭する後北条氏との対比でもある。

 

新書713戦国大名 (平凡社新書)

新書713戦国大名 (平凡社新書)

  • 作者:黒田 基樹
  • 発売日: 2014/01/15
  • メディア: 新書
 

 

家人に読み書きまで教える新九郎のやり方は、荏原の武士からはまじめすぎる、人として面白くないといわれている。だが、後北条氏の領国経営のきめ細かさは、戦国研究者に大いに役立っている。黒田基樹氏の『戦国大名』は後北条氏を中心に戦国大名の領国統治や税制・戦争などについて解説しているが、これはそれだけ北条氏の文書が多く残されているからだ。とくに検地については、そのやり方が具体的にわかっているのは北条氏だけなのだそうで、ここにも北条氏が内政に力を入れていたことが見てとれる。検地をはじめたのは北条早雲だから、若き日の早雲、つまり新九郎も細かいことに気がつく、領地経営に意欲的な人物として描かれているのだろう。のちの北条早雲像や北条氏の領国統治のあり方から想像して「早雲エピソード0」を描いているのが『新九郎、奔る!』なのだとすれば、この作品が面白いのも当然のことといえる。

「日出処の天子」は倭と隋が対等という意味ではない?河上麻由子『古代日中関係史 倭の五王から遣唐使以降まで』

 

 

 「日出づる処の天子より、日没する処の天子に書を致す」──これは、聖徳太子が隋の煬帝に送ったとされる書状の文言としてあまりに有名だ。だがこの文章はあまり聖徳太子のイメージとそぐわない。深く仏教に帰依し、思慮深い人物だったという厩戸皇子が、倭国と隋が対等の存在だといわんばかりの書状を送るものだろうか。厩戸皇子は対外関係においては案外タカ派だったのか、隋と倭の国力差を理解していなかったのか。小野妹子が持参した書状が煬帝の目にふれたとき、大いに怒りを買うとは考えなかったのだろうか。

 

この疑問に対するひとつの回答が、『古代日中関係史 倭の五王から遣唐使以降まで』には書かれている。著者の河上麻由子氏の指摘によれば、倭国の書状の「天子」は仏教用語であり、中華思想上の「天子」ではないのだという。

 

中華思想では、天子は複数存在しえない。よって書状の天子を中華思想で理解することは、原則的に不可能である。倭王と隋皇帝の二人を天子と呼んでいるからである。皇帝を「菩薩天子」とたたえる使者の発言を踏まえるならば、倭国の書状にある「天子」は、諸天に守護され、三十三天から徳を分与された国王と解するべきである。(p89)

 

『金光明経』では、「天子」を人界の王という意味で使っている。神々の守護を受けて神通力をそなえ、衆生を教化する国王がこの経典における「天子」だ。倭国がこの意味で「天子」という言葉を使っているとすれば、倭王はあくまで「仏教王」を自称しただけで、隋の皇帝と対等な存在だと主張したわけではないことになる。

 

だが、煬帝倭国の書状を読んで不快になったと『隋書倭国伝』は記している。これはなぜだろうか。著者によれば、これは日本が仏教後進国だからということになる。インドやスリランカカンボジアも、自国の崇仏を自負する書状を隋に送っているが、これらの国々は長く仏教を信仰してきた歴史がある。それにくらべ、倭国は本格的な伽藍がようやく建設されたばかりだ。そんな国の国王が「仏教王」を自称するのは不遜だ、ということになってしまうのである。

 

倭国の書状が煬帝を「菩薩天子」とたたえているように、外交文書に仏教用語が登場するのは、この時代の国際関係に仏教の知識が必要不可欠なものになっていたからだ。隋は北周から禅譲を受けて成立した王朝だが、北周では大規模な仏教弾圧(廃仏)がおこなわれていた。隋の文帝は人心を隋に集めるため、禁止されていた僧侶の出家を認め、寺院や仏像を修理するなど、仏教の興隆につとめた。北周とは違い「仏教帝国」となった隋に、周辺諸国も追随する動きをみせている。文帝は大規模な舎利塔建立事業をはじめたが、高句麗百済新羅の使者は、隋に舎利の下賜を願い出ている。仏教を介した国際交流がおこなわれる東アジアの空気に、倭国も合わせようとしていたようだ。

 

この本の95ページには、隋が突厥高句麗など周辺諸国にどれだけの兵力を動員したかがまとめられている。この表をみると、隋は突厥相手に40万もの兵を出したこともある。隋は東アジアの超大国であり、隋と倭国との国力差を倭国側が理解していなかったとは考えにくい。倭国は対等外交を展開したかったのではなく、倭国なりにリアリズムに基づく外交を行いたかったのではないだろうか。「日出処の天子」の呼称は結果として煬帝の不興を買ってしまったが、もしこの呼称が隋との対等を意識した中華思想上の「天子」だったなら、煬帝が不機嫌になる程度ではすまなかっただろう。倭国は隋の圧倒的優位を認めていたのであり、だからこそ聖徳太子も冠位十二階などの制度改革をおこなった、と本書はまとめている。

 

政治的にも、軍事や文化活動を支える経済の面でも、仏教をはじめとする文化の面でも、倭国は隋に対抗できるレベルにはない。600年の第1回遣隋使により、自国の政治体制が未発達であることを痛感した倭国は、先述した官位十二階や十七条憲法の制定など国内制度整備を急いだ。隋の圧倒的優位を認めていたからこそである。隋と対等な関係を目標としたために冊封を要求しなかったとはいえないだろう。(p96)

 

【感想】「うつヌケも運のうち」なのか?田中圭一『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』

 

 

サンデルの新刊『実力も運のうち 能力主義は正義か?』が話題だ。一見実力で勝ちとったようにみえる社会的成功に、実は運が大きくかかわっている。このことをサンデルほどの有名人が指摘した意義は大きい。ところで、心の病が治る、快方に向かうことも一種の「成功」だ。だとすれば、「うつヌケも運のうち」なのだろうか。

 

『うつヌケ』のアマゾンのレビュー欄をみてみると、否定的な評価が少なくない。この本で取り上げられている人たちは抜きんでた才能を持っていたり、理解あるパートナーに恵まれている幸運な人たちではないか。自分もうつを患っているがそんな幸運とは無縁だ、なんの参考にもならない……というわけである。今うつの真っただ中にある人はどうしても物事をネガティブに見てしまうだろうが、(たぶん)うつではない私から見ても、この本に出てくる人たちはかなり環境に恵まれているように思える。

 

この本で田中圭一さんは「うつ治療の特効薬は自信を取り戻すエピソード」と書いている。このフレーズは作家の宮内悠介さんのケースの中で出てくるものだ。この事例では宮内さんが『盤上の夜』で創元SF短編賞を受賞し、作家デビューを果たしてうつが快方に向かったことが描かれているが、こういう華々しい話を紹介されると、なんだか自分とは遠い世界の話だ……という印象になるのは否めない。もうちょっと凡人でも共感できそうな、身近な人のエピソードを載せられなかったのだろうか、と思うが、紹介されている事例の多くが有名人のものなのは広く興味を持ってもらうためなのだろう。

 

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実のところ、この本で取り上げられている人たちが運がよかったことは田中さんも認めている。17話の熊谷達也さんの事例では、教師の仕事をがんばりすぎて休職した熊谷さんに妻が「つらいなら教師を辞めればいいんじゃないか」と提案している。やめるという選択肢を考えたことすらない熊谷さんにとって、この一言が救いになり、未来が一気に開けるような解放感を味わえたという。妻の言葉でうまく気持ちを切り替えるきっかけをつくれた熊谷さんに、田中さんは「運がよかったんですよ」と語りかけている。この後熊谷さんは作家デビューを果たし、2004年には直木賞を受賞しているが、このあたりも宮内さんのケース同様、しょせん自分とは別世界の人の話だという印象を抱かせる一因になっているかもしれない。もっとも熊谷さんはこのあと東日本大震災の被災地を舞台にしたシリーズに自信が持てなくなり、うつが再発しているのだけれども。

 

この本で取り上げられている事例では、一旦うつになってしまった人がなんらかの形で成功したり、周りから必要とされることでうつが快方に向かう、というものが多い。理解のある家族に支えになってもらった人も少なくない。では、この本がたんに環境に恵まれた運のいい人だけの事例集で、 そんな環境にいない人にはなんの役にも立たないかというと、そんなことはない。最初に紹介される田中圭一さん自身の事例では、アファメーション(肯定的自己暗示)で自分の心を建て直すことに成功している。朝目覚めたときに自分を肯定する言葉を唱えるだけだから、誰にでも実行できる。10話の佐々木忠さんは十字真言で心の痛みを消しているが、このように信仰が心の負担を軽くする事例もある。誰にでもできることではないが、信仰は環境とは関係なく実践できる「ノウハウ」でもある。6話の大槻ケンヂさんがプラモデルを作って気をまぎらわせた事例にしても、一人でも実行できるものだ。

 

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この本では20話にうつ対策の総まとめが載っているが、ここで田中さんは「自分を否定するものからは遠ざかり、自分を肯定してくれるものに近づこう」と書いている。となると、やはりここにも運の良しあしが関わってくる。パートナーが自分を肯定してくれる人だったり、周りから褒められるくらい仕事のスキルが高ければ、それだけうつから抜けやすくなる。だからこの20話でも「自分を肯定するものが身近にない人はどうすれば」と突っ込ませたりしている。その答えは「小さな達成感を得られる何かを見つける」だ。大槻ケンヂにとってのプラモデルがこれにあたる。これだって症状が重ければ実行は難しそうだし、誰もが熱中できる趣味をみつけられるとは限らないが、このような方法もあると示しておく意味はあるのだと思う。

 

他のすべてのことがそうであるように、「うつヌケ」できるかどうかにも運が関わっていることは否定できない。だとすれば、まずその運をよくすることはできないだろうか。運のいい人を増やすには、うつ病の当事者より、周りの人がこの本を読むのがいいかもしれない。この本には、うつになりやすい人の特徴が書いてある。それは以下のようなものだ。

 

 

このことを知っておけば、部下やパートナーがこのような性格だった場合、あまり思いつめないよう配慮することはできる。また近しい人物がすでにうつになっていたとしても、この本に出てくるような理解のあるパートナーや家族の行動を取り入れることはできる。自分の気づかい次第で、身近な人を「運のいい人」にすることは可能だ。

 

運のいい人の法則 (角川文庫)

運のいい人の法則 (角川文庫)

 

 

リチャード・ワイズマン博士は『運のいい人の法則』で、運がいい人の条件のひとつとして「チャンスを最大限に広げる」をあげている。運のいい人はチャンスの存在に気づき、チャンスにもとづいて行動する、というのだ。『うつヌケ』は確かに環境に恵まれた人の事例集だが、だからといってまったく恵まれていない人の役に立たない、というわけではない。だが、はじめから「どうせ運のいい人の話だから参考にならないだろう」と決めつけてこの本を読むと、参考になりそうな部分も見落としてしまう。私も一度目はそう読んでいた。どうせ私には関係ない本だろうと思っていると、使えそうなノウハウが載っているのにも気づかず、実生活に活かすこともないから、本当に運が悪くなってしまうのだ。

 

とはいえ、うつになるとどうしても物事をネガティブに見てしまうわけで、この本に参考になりそうな箇所があったとしても、それが見えにくくなる。あるいは見えていたとしても実行する気力がわかないかもしれない。その意味では、うつは「運を悪くしてしまう病気」だともいえる。であるとすれば、できれば周りがその人をサポートすることで「運のいい人」に変えていくのが望ましい、ということになるのではないだろうか。

【感想】火坂雅志・伊東潤『北条五代(上)(下)』

 

北条五代 上

北条五代 上

 

 

火坂雅志が執筆中に急逝したため未完になっていた作品を伊東潤が引き継ぎ完成させた『北条五代』を読んだ。後北条氏五代の興亡を描くこの作品で、火坂雅志は三代目当主・北条氏康の青年時代まで、伊東潤はそれ以降を担当している。

 

読んでみると、火坂雅志パートから伊東潤パートへの移行は意外とスムーズだ。どちらかというと火坂雅志のほうが淡々とした筆致で伊東潤のほうが描写が詳細、かつ戦闘シーンが武闘派という印象はあるが、両者の個性が作品内で喧嘩することはなく、とくに違和感なく読みすすめていけるのではないかと思う。

 

火坂雅志の描く北条早雲は梟雄の印象が強く、政戦両略の野心家だ。人物像は従来の早雲像から大きく離れてはいないものの、謀略を駆使する早雲の国盗りを存分に楽しめる。だが、この作品の一番の功績は後北条氏の二代目・北条氏綱を描いたことにあると思う。柔軟性に富む父とは異なり、生真面目な氏綱は父に器量が劣っていると悩むものの、扇谷・山之内両上杉家や武田家・里見家など周辺勢力と粘り強く渡り合い、着実に北条家の勢力をひろげていく。氏綱を支える風魔小太郎や北条長綱などのキャラクターも魅力的だ。北条家を陰から支える風魔一族と氏綱の出会いに絡んで氏綱と小太郎の妹のロマンスが描かれる一幕もあるが、ここはハードな政治と軍事の話が続くなかで珍しく艶めいた場面でもある。

 

火坂雅志パートでは、北条氏康は獣の殺生すら嫌がるほどの繊細な若者として描かれる。このため、当主としては自分は不適格だと悩み一時は出奔までしてしまう。ここで火坂雅志パートが終わっているが、ここを引きつぎ伊東潤北条氏康を九州である人物と出会わせる。かなり創作が入っている部分と思われるが、ここで氏康の師匠になる人物がなかなか面白味のある人物で、のちの氏康の政治観・戦略に大きな影響を与える。北条家を受けついでからの氏康の活躍は史実通りに書かれているが、氏康から見た上杉謙信像には新鮮味がある。北条家や関東の国衆からすれば、謙信の侵攻は災厄のようなものだ。この謙信と氏康がどう対峙するのか、が氏康パートでの見どころのひとつになる。

 

その氏康から当主の座を受けつぐのが氏政だが、この作品の下巻では有名な「汁二杯」のエピソードは出てこない。かわって、兄弟の氏照や氏邦と手を携え、北条家存続のため力を尽くす氏政の姿が描かれる。氏政には人としてのやさしさがあり、それが当主としての失点になることもある。三増峠の戦いで大きな犠牲を出してしまったこともそのひとつの例だ。だがこの失敗も氏政が味方の被害を減らす意図があったために起きたこととのちには理解されている。氏政は早雲や氏康にくらべ武略は劣るかもしれないが、誠実な人物として描かれている。

 

上巻と下巻の氏康パートまでは北条家は上り調子なので読みやすいが、氏政の治世も後半に入るとだんだん読みすすめるのがつらくなってくる。西から信長が勢力をひろげてくるからだ。これまで歴史学の新知見もいくつか取り入れ、氏政も従来通りのイメージでは書かなかった本作だが、信長についてはいつも通り「魔王」然とした人物として書いている。敵であるぶんにはこう書いたほうがいいのだろうか。信長の支配下に入れば、苛烈な統治を押しつけることになり北条家の掲げる「禄寿応穏」を守れなくなる。苦悩する氏政を支え続けたのは江雪斎だ。このすぐれた外交家は氏康の代からずっと北条家に仕えているが、その手腕は当主が氏直に代わっても活かされ続ける。

 

やがて信長が横死すると、氏直が前面に出てくることになる。氏直パートで強烈な印象を残すのは真田昌幸だ。『真田丸』では北条家や上杉家、徳川家の間を巧みに泳いで生き残った昌幸だが、それだけに北条家から見た印象は悪辣なものとなる。江雪斎は一度は昌幸を攻めるべきと主張するものの、若者らしい氏直の正義感を立てて自説を引っ込める柔軟さも見せる。この時点で唯一頼りになる戦略家の江雪斎は今後も北条家を支え続けるものの、秀吉相手にはあまり手腕の見せどころもない。終盤はやや駆け足気味だが、滅びを前にした氏政・氏直父子の対話は戦国の世のはかなさを感じさせ、強く印象に残るものになっている。この二人のいさぎよさは、北条家の幕引きを爽やかなものにしている。最後まで読み切った読者は、北条家のイメージを新たなものにするのではないだろうか。

 

【感想】謎解き×怪異×人情全部入りの宮部みゆきよくばりセット『きたきた捕物帳』

 

きたきた捕物帖

きたきた捕物帖

 

 

宮部みゆきの時代ものには怪異要素のあるものとないものがある。怪異入りなのは『三島屋変調百物語』『荒神』『あかんべえ』などで、これらの作品は捕物ではない。いっぽう怪異なしの作品は『ぼんくら』『堪忍箱』『おまえさん』などで、ぼんくらシリーズは捕物だ。人情味は宮部作品なら全作品にあるから、怪異と捕物が合体すれば自動的に人情もついてくることになり、ここに宮部みゆき時代劇の全要素がそろう「宮部時代小説よくばりセット」ができあがる。宮部みゆきが「私がずっと書きたった」という『きたきた捕物帳』は本所深川を舞台に展開する捕物帳であり、妖怪や幽霊は(今のところ)出てこないもののちょっと不思議な味付けもあり、さらには主人公北一の成長を眺められるビルドゥングスロマンでもある。もちろん江戸の町人の表の顔も裏の顔もていねいに描く描写力はあいかわらず卓越していて、大安定の宮部ワールドに心ゆくまで浸ることができる。

 

第1話「ふぐと福笑い」は主要人物の顔見せといった回。岡っ引きの千吉親分の子分だった北一の回想から物語ははじまる。仙吉の商売だった文庫売りを引きつぐ意地の悪いおたまや世慣れた差配人の勘右衛門、仙吉の妻で盲目の松葉、その女中のおみつなどが出てくるが、一番のキーマンは盲目ながら、いや盲目だからこそなのか、常人をはるかに超える鋭い感覚と洞察力を持つ松葉だ。松葉は北一と同じ長屋に住むことになり、北一は松葉の家事を手伝うかわりにおみつに飯を食わせてもらっているのだが、ある日北一は松葉の洞察力を見込んで相談を持ちかける。

相談事とは、出して遊ぶと必ず祟る「呪いの福笑い」の件。ある材木屋の子供がうっかりこの福笑いを取りだして遊んでしまい、それ以来家の者が火傷したりものもらいを患ったりしている。これを解決するには福笑いで遊び、一発で正しい場所の目鼻口を置かなければならないのだという。この難題を目の見えない松葉がどう解決するのか?がこの話の読みどころだ。本当に福笑いの呪いなんてものがあるのかわからないが、松葉の解決法には不思議なところは何もない。当人が言うとおり、「一足す一は二」なのだ。

 

第二話「双六神隠し」はタイトル通り、双六にまつわる「神隠し」の話。魚屋の息子・松吉が行方知れずになると、友人の丸助は双六のせいだと言い出す。彼らが遊んでいた双六とは「大熱」「突き当り」「金三両」など奇妙な書き込みのあるものだった。松吉は「神隠し」のマスにとまったから姿を消したというのである。のちに松吉はひょっこり姿をあらわしたが、当人も神隠しにあったようだ、と言う。

一体どういうことなのか。北一は真相を探りはじめる。頼りになりそうな勘右衛門も怪談には弱く、今回は当てにならない。北一はまだ少年なので、子供たちの嘘には敏感だ。これは神隠しなどではない、と確信した北一は聞き込みをはじめる。松葉からもヒントをもらいながら、北一はしだいに真相に近づいていく。そうこうするうちに今度は松吉の友人の仙太郎がいなくなってしまう。しかも丸助の家の前の干物箱には金三両が入れられていた。松吉同様、「金三両」のマスにとまった丸助にも双六と同じ現実が訪れた。

ここからさらに北一は推理を働かせる。やがて明らかになってくるのは、仙太郎をとりまく複雑な環境だ。裕福な蠟燭屋の跡取りである仙太郎も、さまざまなものを背負っている。彼の家族も善人ばかりではない。正しくない感情、決して表に出してはならぬ鬱屈をを抱えた者が、彼の周りにはいる。だが、真実を知ってしまうと、その「正しくなさ」にも一定の理解はできる。決して根っからの悪人ではない者が、状況によって正しくない者になってしまう。複雑にもつれる人の感情の動きをていねいに追い、正しくない者にも一定の同情心を起こさせる、これこそ宮部みゆきの人間描写の真骨頂だ。現実が巨大なピタゴラ装置であるならば、ここで起きているのは感情の玉突き事故なのだ。北一はこの玉突き事故のしくみを見事に解き明かし、松吉の抱えていた鬱屈まで晴らしてみせる。北一は人間として一回り大きくなり、他者を助けられる男になった。70ページ程度の分量に生きることのつらさと切なさ、そして尊さを凝縮した密度の濃い一篇だった。

 

第三話「だんまり用心棒」はこの物語のもう一人の主人公・喜多次が登場する話。北一は同心の沢井蓮太郎の頼みで地主の屋敷の床下に埋まっていた骨を掘り出すが、そこで烏天狗の根付をみつける。扇橋町の湯屋の釜焚きが天狗の顔の彫り物をしていると聞いた北一は、根付との関係を確かめるためこの釜焚きの元を訪れる。釜焚きはみすぼらしい身なりで会話もろくにできない少年で、これが喜多次だ。このときはまるで頭の回らない少年にしか見えなかったが、この喜多次がのちにまったく異なる一面を見せることになる。

この後、差配人の勘右衛門が何者かにさらわれ、身代金を要求される。北一はおおよそ犯人の目星がついていたが、勘右衛門がどこにいるのかまではわからない。だが北一のもとをおとずれた喜多次から、北一は意外なことを聞かされる。ここでようやく『きたきた捕物帳』のタイトルが回収される。北一と喜多次がコンビを結成し、勘右衛門誘拐事件の解決にあたることになるが、ここから先は喜多次の目が醒めるような活躍ぶりが見ものだ。喜多次が北一に協力してくれる意外な理由も明らかになるが、それでもなお喜多次の過去には多くの謎が残る。喜多次の多能ぶりは一体どこからくるのか、どんな生い立ちなのか。それを知りたくて、今から続編が待ち遠しくなる。

 

第四話「冥土の花嫁」は北一の文庫屋としての成長ぶりを眺められる。味噌問屋「いわい屋」に引き出物として納める文庫をつくるため、文庫作りの先達の末三や人の良い武士の青海新兵衛、団扇屋の丸屋の協力を仰ぐことになる北一だが、皆が力になってくれるあたり、深川の人々の温かさが身に染みる。だがいわい屋の新郎の前に、死別した元妻・お菊の生まれ変わりだというお咲が現れる。お咲はどういうわけかお菊の記憶を受けついでいて、発言には矛盾がみられない。いわい屋が大混乱に陥るうち関係者が怪死する騒ぎまで起きてしまい、結局北一は事件解決のため動き出すことになる。

謎解き自体はわりとシンプルなものだが、この話でメインになるのは北一の成長と自立だ。北一が意地の悪いおたまのもとを離れ、商売人としてどう自分を売り出していくか、どんな人を頼ればいいのか、が描かれているが、北一がかかわる人々のキャラが全員立っていて、さながら深川人間図鑑といった様相を呈している。宮部みゆきの多くの人間を書き分け、それぞれの登場人物の内面に自在に入り込む手腕にはいつもながら感心させられる。喜多次の過去が少し明らかになる一幕もあり、この謎めいた少年への興味がさらに増す仕掛けもある。父親が謎の死を遂げているだけに、おそらく続巻で喜多次の過去についてさらに触れる機会もあるのだろう。

 

全体を通してみると、本作では謎解きと人情の要素が大きく、怪異要素はやや控えめだ。4つのストーリーそれぞれが怪異の雰囲気をまとってはいるが、あくまで現実的な理由のある怪異なので、三島屋変調百物語とはまた味付けが異なる。ともあれ、宮部作品が好きな読者だけでなく時代小説好きには安心して進められる内容だし、シリーズ化もすでに決定しているので、いずれテレビドラマ化されることも今から期待しておく。