明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

シリーズ日本古代史5『平安京遷都』に見る武士の起源

 

平安京遷都〈シリーズ 日本古代史 5〉 (岩波新書)

平安京遷都〈シリーズ 日本古代史 5〉 (岩波新書)

 

 

平安時代は今ひとつ日本人にとってなじみがない。時代区分で言えば「古代」なのだが、普通は古代と言って思い浮かべるのは古墳時代飛鳥時代であったりするし、平安時代のことはあまり頭には浮かばない。源氏物語だとかの王朝文学は有名でも、この時代に強い愛着を持っている人はそれほど多くないのではないかと思う。その理由はなにか。本書の「はじめに」に書いてあることが、そのひとつの答えになるかもしれない。

 

今の衣冠の制度は、中古の唐制を模倣したまま現在に至り、「軟弱」のありさまとなっている。朕ははなはだこれを嘆く。そもそも神州を「武」によって治めることは、もとから久しく行われてきたことである。天子がみずから元帥となれば、民衆もそのあり様をまねするだろう。神武天皇のときは、決して今日の姿ではなかった。どうして一日たりとも「軟弱」な姿をもって天下に示すことができようか。朕は、今、断然として服制を改め、その風俗を一新し、皇祖以来の「武」を尊ぶ「国体」を立てようと思う。

 

これが、明治四年の敕で明治天皇が言っていることだ。つまり、平安朝以来の「軟弱な」服装などの貴族文化は捨て去るべきものであるという認識である。理想とすべき過去は天皇が自らリーダーシップを取っていた飛鳥時代奈良時代、あるいは神武天皇が活躍していた神話の時代であって、藤原氏に政治の実権を握られていた平安時代などは忘却するべき時代だということになる。文化面においても、正岡子規紀貫之古今和歌集はくだらない歌集だと断定し、万葉集を高く評価した。このような明治の平安時代の評価を、現代人も引きずっているのかもしれない。

 

 しかし、まさにこの時代にその後の日本史を大きく左右するものが誕生している。戦前の日本を席巻した「神国日本」という考え方もそうだし、なにより重要なのはこの時代に武士が誕生していることだ。武士の誕生については地方の荘園経営者が自衛のため武装したものという見解と、平安京の治安維持のため誕生したという見解とがあるが、本書では後者を支持している。これは武士を職能のひとつとして考える「職能性的武士論」だ。

 

武士が職能なのであれば武勇に優れていれば武士になれることになるが、実はそう単純なものではなかったらしい。武士と認知されるには、武士の家に生まれることが必要だ。つまりは源氏と平氏なのだが、なぜその家系に限定されるかというと、平将門の乱を鎮圧したのがこのふたつの家系だからと本書には書かれている。武門の血を引いていないと、この時代では武士とは認められない。

 

本来都で生まれた武士たちが、その技量を磨いたのは辺境の地だった。すなわち蝦夷との戦争だ。東北では砂金が発見され、また質の良い馬や海産物、鷹の羽なども北方の地で手に入るため、平安の王権は北方の蝦夷とも時に争った。蝦夷の使っていた蕨手刀は日本刀の起源ともいわれるが、その意味では東北という辺境が武士を育てたともいえる。東北を理解しないと、平安時代は理解できない。本書は比較的新しい概説だけに、この辺境という視点がある。簡潔ながら王朝国家と東北との関係性を的確に表現している本書は、平安時代の入門書としてふさわしい良書と言えそうだ。

 

 

日本史のおすすめ本を20冊紹介してみる

手元の概説書や新書、読みやすい専門書などの中から面白く読める日本史のおすすめ本を選んでみました。受験に役立つ内容ではありませんが、面白いだけでなく何かしら得るところのあるものを選んでいます。今後の読書の参考までにご覧ください。

 

中公文庫 日本の歴史シリーズ

 

日本の歴史 (7) 鎌倉幕府 (中公文庫)

日本の歴史 (7) 鎌倉幕府 (中公文庫)

 

 

現在も読みつがれているスタンダードな日本史の概説書のシリーズ。巻によって異なるものの中公文庫の世界の歴史シリーズ同様、読みやすさには配慮されているうえ内容も詳しく日本史を学ぶ上では大いに役立つものです。特に『鎌倉幕府』や『南北朝の動乱』の巻は名著と呼ばれています。著者が主張を述べるときにはきちんと史料が引用されているので、根拠が怪しいということもなく、オーソドックスな日本史の流れを抑えるには一番向いているシリーズといえます。ただし内容には古びたところが見られるのも事実で、中世については『陰謀の日本中世史』などで知識をアップデートするのが有効です。

このシリーズの詳しいレビューはこちらからどうぞ。

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山川詳説日本史研究

  

詳説日本史研究

詳説日本史研究

 

 

これ一冊で教科書の内容からもう一歩踏み込んだ日本の通史をおさえることができます。山川出版社からは詳説世界史研究も発売されていますが、やはりこちらは日本史だけを扱っているので内容が濃い。重要なキーワードは太字で書かれ、絵図も多く挿入されているので「詳しい教科書」という感じの本です。受験用というよりは社会人が忘れている日本史の知識を補うために辞書的に使うほうが向いていると思われますが、コラムの内容には信長の従者弥助や明治維新の死傷者数など案外面白いものも多く、時間のあるときにめくってみると意外な知識が得られたりします。先に中公文庫の『日本の歴史』シリーズを読んでいると、この本の内容の多くはあのシリーズに依拠していることがわかります。

 

元号 全247総覧

 

元号 全247総覧

元号 全247総覧

 

 

現在、元号というものを使っている国は日本だけです。本書では、奈良時代以降使われたすべての元号についてその由来と改元の事情について解説しています。改元の理由を見ていくことでその時代の特徴や社会情勢も自然とわかるようになっていて、応仁の乱以降は兵乱による改元が多かったり、幕末には外国船来航による改元などもあったりします。それ以外では飢饉や疫病、地震などによる改元が多いですが、それだけ日本が災害大国であるということの証拠です。

 

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魏志倭人伝の謎を解く

 

魏志倭人伝の謎を解く - 三国志から見る邪馬台国 (中公新書)

魏志倭人伝の謎を解く - 三国志から見る邪馬台国 (中公新書)

 

 

三国志について多くの著作のある渡邉義浩さんが魏志倭人伝を読み解くという内容の本。邪馬台国論争は史料が倭人伝くらいしかないので想像の余地が大きく、それが多くのアマチュアがこの分野に参入する理由になっていますが、これを読んでいると魏志倭人伝の読解には古代中国の歴史や政治情勢、儒教などの幅広い知識が要求されることがよくわかります。これに加えて邪馬台国の実像を考えるには考古学の知識も必要なので、とても素人が気軽に参戦できるジャンルではありません。では、東洋史家が倭人伝を読むと、邪馬台国の位置はどこになるのか。それは読んでのお楽しみです。

 

古代国家はいつ成立したか

  

古代国家はいつ成立したか (岩波新書)

古代国家はいつ成立したか (岩波新書)

 

 考古学の知識を使って弥生時代から飛鳥時代までの古代社会の変遷について解説している本。興味深いのは考古学における「都市」の定義で、本書では都市には首都としての政治のセンター機能、および宗教と経済のセンター機能が必要と書かれています。邪馬台国の「首都」と言われることもある纏向遺跡は巨大環濠集落ですが、こうした集落は政治・宗教・経済のセンター機能を持っているため都市の萌芽は見られるものの、住民の大半が農民であるためまだ都市とは呼べないと考察されています。環濠集落に中国の城郭が与えた影響についても書かれていて、古代社会が思っている以上に開かれた社会であったことが想像できます。

 

倭国

 

倭国伝 全訳注 中国正史に描かれた日本 (講談社学術文庫)

倭国伝 全訳注 中国正史に描かれた日本 (講談社学術文庫)

 

 魏志倭人伝にはじまり後漢書や隋書・旧唐書・元史・明史など、中国の正史に書かれた日本の列伝を集めているある意味非常にマニアックな本です。「正史に描かれた日本」と言いつつ実は高句麗新羅百済・靺鞨の伝も載っているので古代史の史料が欲しい方にはお得。日本史よりも東洋史が好きな方が欲しい一冊かもしれません。明史日本伝は戦国時代の日本についての情報も含みますが、明智光秀らしい人物が二人もいたり、秀吉が薩摩の奴隷だと名乗ったことになっているなど、かなり誤りが多いことに驚きます。明の時代でこれなら魏志倭人伝の内容などどれほど信用できるのか心配になってきますが、これも中国人から見た日本像として貴重な史料のひとつです。

 

奥州藤原三代

 

奥州藤原三代―北方の覇者から平泉幕府構想へ (日本史リブレット人)

奥州藤原三代―北方の覇者から平泉幕府構想へ (日本史リブレット人)

 

 

本としては薄いですが内容はとても濃い。 中世日本の北方にほぼ独立政権として存在した平泉政権は中国とも盛んに交易を行っており、また平泉で信仰されていた仏教は遼や北宋・高麗・クメール王国のそれとも共通性のある国際的なものだったと指摘されています。このため平泉政権は当時の琉球王国にも比せられるべき存在だったという見方が示され、京都とは異なる平泉の自立性が強調されています。しかしその存在は鎌倉幕府にとっては許せるものではなく、古代以来の「征夷」の対象となってしまったという記述が、東北という地の背負う歴史の重さを感じさせます。

 

アイヌ学入門

 

アイヌ学入門 (講談社現代新書)

アイヌ学入門 (講談社現代新書)

 

 

「縄文のDNAと伝統を引き継ぐ存在としてのアイヌ」という視点からアイヌについて描いている著者ですが、本書では序章でアイヌ史について簡潔にまとめたあと、アイヌ沈黙交易や呪術、山の神の農耕儀礼古代ローマから伝わった小人伝説など、興味深いトピックが多く取り上げられています。驚くべきは奥州平泉から北海道の厚真へスタッフが派遣されていた可能性が指摘されていることで、中尊寺金色堂にもアイヌの金が使われていたかもしれないとも推測されています。知られている以上にグローバルに活動していたアイヌの実態を知ることができます。アイヌの歴史・文化を知るための格好の入門書です。

 

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陰謀の日本中世史

 

陰謀の日本中世史 (角川新書)

陰謀の日本中世史 (角川新書)

 

タイトルだけみると陰謀論の本かと思ってしまいますが、これは逆に歴史学会にはびこる陰謀論を『応仁の乱』著者の呉座勇一氏が次々と批判していくという内容。単に陰謀論批判ではなく、この一冊で中世史のあらましを学べるようになっています。本能寺の変をめぐる陰謀論批判にはかなり力が入っているので、信長に興味のある方は面白く読めるはずです。最終章の「なぜ陰謀論は人気があるのか」は人が陰謀論に引っかかる心理について解説していますが、この箇所はメディアリテラシーを高める上でも役立ちます。「○○の隠された真実」のような怪しい本を読む前にこういう本を一冊読んでおくことで、歴史本の良否をみわける眼を養うことができます。

 

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軍師・参謀

  

軍師・参謀―戦国時代の演出者たち (中公新書)

軍師・参謀―戦国時代の演出者たち (中公新書)

 

 戦国時代における「軍師」がどのようにして誕生したかを解説した本。意外なことですが、もともとの軍師の仕事は気象予報や出陣の儀式の主催などでした。戦勝祈願などの儀式は戦国大名に必要なものだったため、こうした知識を足利学校で学んだ人物は各地の戦国大名にスカウトされていたのです。しかし、やがて戦争のニーズに応じて『孫子』『呉子』などの兵法書もマスターした軍師たちは戦術のアドバイスも行うようになり、軍事顧問としての役割も果たすようになっていったことが解説されています。この軍事顧問としての役割だけが戦国末期まで継承され、「軍師」はしだいに「参謀」的存在へと変わっていったと説明されますが、黒田官兵衛などはその代表例だと書かれています。軍師の役割を通じて、合理的である半面吉凶や縁起を気にする戦国大名の実態も知ることができます。

 

戦国大名

 

 

新書一冊で戦国大名の行政機構や家臣団、税制、流通政策、国衆との関係までわかってしまうお得な本。主に北条家の統治について解説していますが、これは戦国大名としては北条家の史料がもっとも多く残っているからです。戦国大名の支配は思っているよりも繊細で細かい規定がありますが、これは「給人も百姓も成り立ち候様に」という言葉の通り、戦国大名の存立基盤である村が存続できるよう配慮されていたからで、容赦のない収奪を行えば大名自身の生存が危うくなってしまうからです。最終章では信長と他の戦国大名の支配体制に大きな違いがないことも示され、信長の「革新性」についても疑問を投げかけています。これを読めば、戦国大名とは独自の法律を持つ一種の「国家」だったということがよくわかります。

 

戦国大名武田氏の戦争と内政

 

戦国大名武田氏の戦争と内政 (星海社新書)

戦国大名武田氏の戦争と内政 (星海社新書)

 

 

北条家よりも武田家の支配体制について知りたい方にはこちらの新書があります。甲斐の内乱時代から武田信虎、信玄を経て勝頼の時代の内政と戦争について記すだけでなく、短いながら織田政権時代の武田領国の支配や真田氏の内政についても触れているので、一冊で多くの情報を得ることができます。驚くべきは武田信虎という人物の統治手腕で、甲斐の内乱を集結させただけでなく棟別銭の賦課をはじめ、国衆の勢力を削いで城下に移住させるというある種の「中央集権策」まで実施するなど、相当な豪腕であったことがわかります。信玄の覇業も信虎が戦国大名としての基礎を固めていたからこそ可能だったことなのです。

 

 信長の政略

 

信長の政略: 信長は中世をどこまで破壊したか

信長の政略: 信長は中世をどこまで破壊したか

 

 

信長研究一筋に打ち込んできた谷口克広氏の著書。文章が読みやすく、信長の戦争や外交、内政や宗教政策など、信長についての一通りの知識がこの一冊で得られます。近年の研究では信長には「中世的」な部分も多かったことが指摘されますが、そうした見解も取り入れつつ何度も居城を移転したことや流通政策、長槍部隊を創設したことなど信長の新規性についても解説しています。サブタイトルの「信長は中世をどこまで破壊したか」については、信長は「革命家」ではないとしても「合理的改革者」ではあったというのが著者の結論ですが、このあたりが現在多くの人が納得できる信長像かもしれません。織田信長について知るならまずはおさえておきたい一冊です。

 

検証長篠合戦

 

検証 長篠合戦 (歴史文化ライブラリー)

検証 長篠合戦 (歴史文化ライブラリー)

 

 

真田丸時代考証担当の一人で戦国の武田氏に詳しい平山優氏の著書。論文集なのに読んでいて面白いという珍しい本で、長篠合戦についての軍事的考察がメインとなっています。武田氏の鉄砲隊の編成も信長軍と特に変わるものではなく、織田軍に比べて特に遅れていたわけではないこと、信長軍が「兵農分離」していた証拠はないことなど、信長の革新性については上記の『信長の政略』よりも否定的です。戦国時代の馬についてよく言われる「戦国の馬はポニー程度の大きさしかない」についても考察が加えられており、戦国の馬は小柄ではあっても馬体は逞しく能力が高かった可能性が指摘されています。「武田の騎馬隊」が実在したかどうかも書かれているので、長篠合戦だけでなく戦国時代の合戦について関心を持つ方に広くおすすめします。

 

無私の日本人

 

無私の日本人 (文春文庫)

無私の日本人 (文春文庫)

 

殿、利息でござる!』というタイトルで映画化もされた本。これをおすすめする理由は、この本を読むことで江戸時代の村の統治の実態をよく知ることができるからです。これは主人公の穀田屋十三郎が集めた資金を仙台藩に貸し付けて利息を取り、吉岡宿の危機を救うという話ですが、これを実行するためにまず肝煎に話を通し、さらにその上の大肝煎に話を持っていき、さらにその上の代官、郡奉行、出入司という順番でこのプランを認めさせる必要があったことがわかります。建前上は江戸時代の日本を統治していたのは武士ですが、ふだん民の面倒を見ているのはこの肝煎(庄屋)であって、全国に50万人ほどいたこの庄屋こそが江戸時代を下支えしていたと磯田氏は書いています。こうした民衆の底力が宿場町を救ったという事実が『無私の日本人』には記されています。

 

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水戸黄門の食卓

 

水戸光圀は日本で最初にラーメンをつくった人物だった、という説は残念ながら取り消されてしまいましたが、明から招いた儒学者朱舜水が光圀に当時の「ラーメン」の作り方を伝授していたことは本当です。光圀は極めて好奇心旺盛な人物でしたが、本書を読めばその好奇心は食の方面にも存分に発揮されていたことがわかります。うどんを手打ちし、初鰹を好み、饅頭を頬張る光圀の食生活を知ることで、元禄時代の武士の生活にも迫ることができます。当時の武士が実は好んで肉食をしていたことも書かれていて、肉食のタブーが建前でしかなかったこともわかります。

 

徳川がつくった先進国日本

  

徳川がつくった先進国日本 (文春文庫)
 

 

日本はかなり治安の良い部類の国ですが、昔からこうだったわけではありません。むしろ室町期の日本人はかなりの暴れ者の集団でした。そんな日本人がなぜ平和的になっていったのかを、本書では段階的に解説しています。重要なきっかけは島原の乱と宝永地震天明の大飢饉です。災害に注目するところが著者ならではの視点ですが、天明の大飢饉は日本にとり国家的な危機であったため松平定信政権は代官改革を行い、民生に意を用いたため多くの名代官がこの時代に現れました。もともと軍事政権だった幕府が、ようやく民衆のため行政サービスを重視するようになってきたのです。災害が多く米に依存する当時の日本社会を維持するには、農村の復興こそが急務であったことがよくわかります。

 

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幕末史

子供の頃夏休みを新潟で過ごしたという著者は、その体験から「反薩長」に染まったと本書では書かれていますが、実際読んでみると本書の書き方はそれほど反薩長に凝り固まっているわけでもなく、バランスが取れているように思えます。講義調で書かれていて文章は読みやすく、幕末史入門の本として使いやすい内容になっています。龍馬暗殺に関して薩摩が怪しいとする見方など、著者の主観が混じっているところもありますが、幕末の志士たちの人物像が立ち上がってくるような書き方なので頭に入りやすいことは確かです。西郷隆盛は日本の毛沢東であると書かれていますが、この見方には賛否両論あるところでしょう。

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龍馬を超えた男 小松帯刀

  

龍馬を超えた男小松帯刀

龍馬を超えた男小松帯刀

 

著者は『西郷どん』の時代考証を務める原口泉氏。NHKBS『英雄たちの選択』でも小松帯刀を取り上げた回がありましたが、ここでは薩摩にとって小松という人物がいかに重要だったかということが強調されていました。番組中で桐野作人氏が「小松のことを嫌いな人は誰もいない」と言っていたほど人当たりのいい小松でなければ島津久光西郷隆盛の仲介をすることもできないし、長州のために銃を購入し、薩長同盟の成立にも大いに貢献したのも小松帯刀です。「薩摩の小松か、小松の薩摩か」と言われたほどのこの人物を抜きにして、幕末の政局は語れません。

 

司馬遼太郎で学ぶ日本史

 

「司馬?太郎」で学ぶ日本史 (NHK出版新書 517)

「司馬?太郎」で学ぶ日本史 (NHK出版新書 517)

 

 

司馬遼太郎をそのまま史実として読まれては困る、と歴史学者がこぼしているのを最近耳にします。これは確かにそのとおりで、司馬作品はあくまで小説です。しかし、司馬作品がただの娯楽に過ぎないのかというとそれも違っていて、やはり司馬作品には作者の鋭い視点があり、これが歴史を学ぶ上では役立つと磯田氏は言います。ただし司馬作品で歴史を学ぶには「司馬リテラシー」が必要になるため、司馬作品をどう読み解くかを知る必要があります。そのために役立つのが本書です。司馬遼太郎によれば、現在の日本をさかのぼっていくと濃尾平野に誕生した権力体にたどりつくのだそうで、その興亡を描いたのが『国盗り物語』です。本書ではこの戦国作品からスタートして幕末の『花神』、明治の『坂の上の雲』、そして昭和について書いたエッセイ『この国のかたち』に至るまで、それぞれの作品を読み解きながら司馬遼太郎がどう歴史を捉えてきたかを解説しています。すでに司馬作品に親しんでいる方も、これから読もうという方にも役立つ内容です。

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おまけ:石ノ森章太郎『マンガ日本の歴史』

 

マンガも時に歴史を学ぶ上で有効だったりします。ビジュアルがある方が頭にも入ってきやすく、建物や服装など当時の雰囲気も再現しやすいからです。今まで読んだ中では、石ノ森章太郎の『マンガ日本の歴史』がわかりやすいと感じました。このシリーズの詳しいレビューはこちらです。

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以上、今まで読んできた本の中から20冊紹介してみましたが、近代史以降はあまり詳しくないこともありそちらには手が回りませんでした。今後もし機会があったら、近現代史に絞ったものも紹介してみたいと思っています。ただし、半藤一利『昭和史』の内容だけは日本人としては知っておきたい内容だと感じました。語りおろしなので読みやすく、満州事変から敗戦に至るまでの昭和史の流れがよく分かる内容なので、強くおすすめしておきます。詳しい内容はこちらで解説しています。

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なお、世界史のおすすめ本についてはこちらで紹介しています。

 

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学問として学ぶのではなく日本史の歴史小説を読みたい、という方にはこちらでおすすめ本を紹介しています。

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青木崇高の演じる島津久光と後藤象二郎のコンプレックス

先回の西郷どん「偉大な兄 地ごろな弟」で青木崇高が演じた島津久光は、斉彬に対して強いコンプレックスを抱いているらしい。その証拠に、国父様は薩摩を出たことがない、松平春嶽などとの人脈もないと言って率兵上京を止めようとする西郷に対し、顔をひきつらせながら「わしが地ゴロ(田舎者)だと言うのか」と言っている。

 

龍馬伝』の後藤象二郎を演じたときもそうだったが、青木崇高という人は、こういう複雑な内面を持つ人物を演じるのがうまい。本来この「地ゴロ」という言葉は西郷が久光に向けて言った言葉とされているのだが、このドラマでは久光のほうがこの言葉を持ち出している。ということは、久光自身が自分を田舎者だと思っているのだ。産業を興し、薩摩の近代化を強力に押し進めた偉大な兄を持ち出して自分を批判する西郷のことを、久光は決して許せなかっただろう。そして、面と向かって久光を非難する西郷に大久保一蔵は食ってかかっている。のちに西南戦争に至る二人の対立の種が、この時点で撒かれているという描写かもしれない。久光の好きな碁を通じて出世しようとする現実主義者の大久保と、一途で潔癖な西郷とは相容れない存在だ。

 

島津斉彬は生前、西郷について「西郷は薩摩の宝だが、自分にしか使いこなせない」と評している。そして斉彬が評したとおり、西郷は久光の命を破って京へ旅立った。運命が二人をいがみ合わせているかのように、西郷と久光は噛み合わない。大久保や小松帯刀のように両者を仲介できる人物がいなければ、斉彬亡き後の薩摩に西郷の活躍の場はなかっただろう。

 

『西郷どん』では若いころは頼りなげで妙な可愛げもあった島津久光は、国父になってからはそれなりの威厳をみせるようにはなっているのだが、斉彬の影を背負う西郷の前に立つと、なんとなく虚勢を張っているようにも見えてしまう。久光の立場からすれば、西郷のような男が藩内で巨大な人望をもっているという状況は実にやりにくいだろう。その力量と人望を考えれば西郷が無礼な口をきいても処罰することもできず、どうにか使いこなすことを考えなければならないのだが、その肝心の西郷の心の中には斉彬しかいないのだ。側近に「西郷は国父様には器が足りないと言っていた」と告げ口されたときの彼の悔しさは、察するに余りある。実際、久光は西郷に地ゴロ呼ばわりされたことを怨み、キセルに歯型まで残している。自分自身身に沁みてわかっていることを他人から指摘されるほど屈辱的なことはない。

 

このような久光の姿を見るたびに、同じく青木崇高が演じた『龍馬伝』での後藤象二郎の姿を思い出す。このドラマでの後藤は脱藩して自由に活躍の場を広げている龍馬を妬んでいて、最終話近くではそのことを容堂の前で涙ながらに告白している。このドラマで一番心に残っているシーンだ。自分の抱えているコンプレックスを認めるのはとても難しい。そしてそれができたからこそ後藤はのちに龍馬と手を組み、大政奉還を実現させることができたという展開になっている。上士である後藤が下士の龍馬を認めるということは、江戸時代の身分秩序が崩れることのひとつの象徴でもある。

 

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この先、『西郷どん』の久光が自らのコンプレックスを克服する描写はあるだろうか。そのような機会があるとすれば、率兵上京を成し遂げたときだろう。つまり、来週放映される寺田屋騒動だ。一度は西郷の説得に応じたかにみえた有馬新七が久光の命で殺されてしまうのだから、やはり西郷と久光はどこまでもすれ違う運命であるようだ。しかし、上記のインタビューでも書かれているとおり、久光は江戸で慶喜にどこの田舎侍かとバカにされてしまうようなので、やはりそうすぐには久光の劣等感は拭い去れないのだろう。

 

久光のその後を考えれば、龍馬と後藤象二郎のように、彼が西郷と和解するような場面があるとは考えられない。久光の胸の中にわだかまっている西郷への複雑な気持ちは、解消されることがないままに終わるのだろうか。いずれ西郷が城山に果てるとき、久光がどう反応するかもドラマ中で描写されることを望みたい。

知恵泉の山本博文さんが橋爪大三郎・大澤真幸さんの『げんきな日本論』に突っ込んでいる件

山本博文さんの名前を知らない方も、NHKの番組「知恵泉」に出演している歴史の先生といえば顔が思い浮かぶ方もいるかもしれません。

 

 

その山本博文さんが、『歴史の勉強法』のなかで、橋爪大三郎大澤真幸両氏の『げんきな日本論』に言及し、その内容を10ページ以上にわたって批判しています。

 

 

『げんきな日本論』は社会学者の橋爪大三郎さんが「なぜ日本には青銅器時代がないのか」「なぜ日本には武士なるものが存在するのか」などの18の疑問を提出し、大澤真幸さんとこれについて語り合うという形式で書かれています。このテーマ設定自体はなかなか面白いのですが、歴史の専門家である山本さんからみるとお二人の議論は突っ込みどころが多いようです。たとえば、『げんきな日本論』では橋爪さんが頼朝の任じられた官位である右近衛対象のことを「下っ端のノンキャリアみたいなポスト」と書いていますが、これに対して山本さんは「これはあまりに日本史の知識のない遣り取りの一例です」と厳しく批判しています。 近衛大将は朝廷の武官の中で最高位の官職で、本来は征夷大将軍よりも上のポストです。つまり、朝廷は頼朝に武家としては最高位の地位を与えたということになります。

 

時代は下って、徳川幕府について橋爪さんは「徳川幕府に、幕府軍は存在しない。圧倒的な軍事力は、どこにもない」と書いていますが、ここにも山本さんは突っ込みます。

 

これは、まったくの誤解で、江戸幕府には平時でも、旗本軍として五番方(大番・書院番小姓組番・新番・小十人組)がありました。新番・小十人組は幕府ができてから編成されるので別としても、幕府成立期には大番十二組、書院番八組、小姓組番六組の直属軍があります。大名に戦闘能力があるというのなら、幕府には個別版をはるかにしのぐ戦闘力があったわけです。

 

『げんきな日本論』では、橋爪さんは全国の大名は徳川家が強いという空気に従っているだけで、その強には実は実態がないのだという議論を展開しているのですが、そうではなく徳川幕府には圧倒的な軍事力があるからこそ全国の大名が従っているのだということです。 

 

殿様の通信簿 (新潮文庫)

殿様の通信簿 (新潮文庫)

 

 

磯田道史さんは『殿様の通信簿』のなかで前田利常という人物について詳しく書いています。利常は前田利家の息子に当たる人物ですが、この人は戦国の最後の生き残りとでも言うべき人で徳川家への対抗心が強く、家光にも不遜な態度をとっていたため幕府からは警戒されていました。利常は軍備を増強し、石垣の普請もはじめたためについに幕府に呼びつけられることになってしまい、藩論は抗戦か江戸へ弁明に発つかでふたつに割れましたが、結局利常は江戸に赴くことに決めました。その理由について、磯田さんはこう書いています。

 

加賀百万石、実際には百二十万国あるのだが、動員兵力はせいぜい四万である。天下とのいくさになれば、徳川二十万の大軍が金沢城に押し寄せてくるであろう。豊臣は天下の名城大阪城に十万で籠城したが、あえなく踏み潰された。おんぼろの金沢城に四万で立てこもったとて、結果はみえている。

 

というわけで、利常が徳川幕府に屈したのは空気を読んだからではなく、幕府の持つ圧倒的な軍事力には到底かなわないと考えたからです。磯田さんは「英雄たちの選択」でもこの前田利常のことを取り上げていて、この人はもしかすると天下を取っていたかもしれない人物だとまで評価しています。それほどの資質を持つ人を抑え込むには、強大な軍事力によるしかありません。

 

また、本書ではイエズス会が信長に近づいた理由は信長に中国を武力制圧させ、キリスト教を広めるためであるという立花京子さんの説を肯定的に紹介しています。この説は史料の裏付けのない典型的な陰謀論であると『陰謀の日本中世史』のなかで批判されているものです。

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史料の裏付けのないことでも主張する自由はありますが、そのような主張は歴史研究としては支持されるものではありません。そうした主張を取り入れている点から見ても、この『げんきな日本論』はあくまで社会学者がアカデミズムの蓄積とは別に自由に対談を繰り広げたもの、として読む必要がありそうです。

 

磯田道史『江戸の備忘録』には磯田史学のエッセンスが詰まっている

 

江戸の備忘録 (文春文庫)

江戸の備忘録 (文春文庫)

 

 よく「処女作にはその作家のすべてが詰まっている」などと言われる。

『江戸の備忘録』は磯田道史の処女作ではないが、初期の著作だ。

これを読むと、その後の磯田氏の著作に出てくるネタがほぼこれに詰まっていることがわかる。なので、一冊で磯田史学のエッセンスを吸収したければこれを読むのがいいかもしれない。ただし、それぞれの内容はあまり深くは掘り下げられない。これは分量の問題で仕方がない。

 

『土芥寇讎記』の話は『殿様の通信簿』にも書かれているし、坂本龍馬の手紙の話は『龍馬史』にも出てくる内容だ。幕末の尼僧太田垣蓮月は『無私の日本人』でも取り上げられているし、西郷の犬好きのエピソードは『素顔の西郷隆盛』でも登場する。江戸時代の鉄砲の話は『歴史の読み解き方』により詳しく出てくる。この時点で興味のあったネタをそれぞれ膨らませて一冊の本にしているのだろうか。

 

この本にあってまだ一冊の本として磯田氏が書いていないテーマに教育がある。本書によれば、寺子屋の教師には女性が3割くらいいたそうだ。といっても、これを江戸時代の「女性の社会進出」の証拠とは必ずしもいえない。女の子には女の師匠の方がふさわしいという理由で教えていたのが実際のところだからだ。藩学校のような公的な教育機関では女性は働いていない。このあたりのテーマでいずれなにか一冊書いてほしいところだ。

 

一つ一つの項は短いので、どこでも気になったところを拾い読み的に読める。その意味で、本書は磯田道史入門として格好の一冊と言えそうだ。

 

saavedra.hatenablog.com

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信長の政治は同時代人にどう見られていたのか?を神田千里『戦国と宗教』に探る

 

戦国と宗教 (岩波新書)

戦国と宗教 (岩波新書)

 

 

神田千里氏の『戦国と宗教』は一向一揆キリシタン大名、戦国の「天道」思想など戦国時代の宗教について語っている好著なのですが、このなかに大友義統大友宗麟の息子)の宗教政策について興味深い記述が出てきます。

キリシタン大名となった大友宗麟の影響を受けキリスト教に感化された義統は仏教への嫌悪感を強め、寺院の所領を没収して家臣に与えたり、仏像を焼かせたりしています。この行為について、義統は仏僧は贅沢三昧な生活をしていて悪徳に満ちている、信長だって都で寺を焼いたり所領を没収したがなんの罰も受けなかった、と自らを正当化しています。信長が寺社勢力を攻撃しても罰を受けなかった、だから神仏にはなんの利益もないのだ、という理屈はキリスト教を布教する上でイエズス会側が用いたロジックでもあります。

 

これに対し、義統の家臣が反論している内容が面白いのです。

 

義統様は戦争に関する事柄にはまったく無分別であられる。なぜなら織田信長の真似をしているとお考えであるが、事柄によってそのお考えは不適切にもなるのである。信長は神通力の人と聞いている。そのうえ賞罰は正しく、未熟なものは即座に討ち果たし、忠節を尽くした者には必ず所領を与えてその働きに報いるからこそ、諸人は命をかけて戦うのである。また信長が寺社を破壊するのは、敵対したと思うから破壊するのであり、さもなければまったく手出しをしない。その真似をなさるなら、 こうしてこそ然るべきなのに、まったく似ても似つかないことをなさり、結局何の罪もない寺社を、信長の真似だといって破壊なさるとは、見識がおありだとは少しも思われない。

 

これによれば、義統の家臣は信長の政治はおおむね公平だと見ていたということになり、寺社に対する仕打ちも単に信長に敵対したから攻撃したのだと考えていたということになります。つまり当時の人ですら、信長は宗教的理由で寺社勢力と戦ったわけではないと思っていたということになるのです。

 

もっとも、これは大友家の場合であって、他の勢力から見ればまた別の味方がありうるでしょう。ただ、信長と寺社勢力はあくまで政治的事情で対立していたにすぎない、という義統の家臣の見方はおおむね正しいようです。本書の第二章では本願寺と信長の関係について考察していますが、本願寺三好三人衆や浅井・朝倉など反信長勢力に加わっていただけのことで、信長vs一向一揆という対決の図式があったわけではないと解説されています。実際、信長は本願寺と三回も和睦しており、信長にとって本願寺はできれば戦いたくない相手だったのではないかという見方が示されています。

結局、信長vs一向一揆石山合戦という見方は一向一揆=反権力という一種の神話に基づくもので、史実にはそぐわないもののようです。「一向一揆」という言葉自体が一八世紀初頭に成立したという事実も、この図式的な理解が後世の視点から生まれたものであることを補強しているように思われます。

司馬遼太郎のおすすめ作品は『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』を読むとわかる

司馬遼太郎作品はただのフィクション」と切り捨ててよいか

 

司馬遼太郎という人は特別な作家です。多くの人は司馬作品を読むとき、ただの娯楽作品として読むのではなく、「これで歴史を学ぶ」という意識をどこかに持っています。「司馬史観」という言葉があるとおり、司馬遼太郎という人は一作家の枠を超えた知識人だと多くの人が認識しているため、司馬作品もただの小説ではなくある種の教養書として受け取られているような雰囲気もあります。本書でも司馬遼太郎頼山陽徳富蘇峰に続いて3人目の「歴史を作る作家」と評価されており、稀有な作家であることが強調されています。司馬遼太郎というペンネームは司馬遷から付けられていることは有名ですが、ここにも彼が「歴史家」であろうとした自負を読み取ることができます。

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一方、歴史家の立場から見ると、そうした読者の姿勢があまり好ましくないものと映ることもあります。上記のエントリで、丸島和洋氏(真田丸時代考証担当の一人)が、塩野七生作品はは司馬作品同様にあくまで文芸作品として楽しむものであり、これを史実と混同されては困る、と語っていたことに触れていますが、確かに司馬作品はあくまでフィクションであって、これをそのまま歴史書として読めるというようなものではありません。実際、丸島氏の講演会では、「貴方の言うことは司馬先生のお話と違う」と言ってきたりする人がいるのだそうで、そう言われる立場からすれば司馬作品はあくまで文芸として読むべきなのだ、となるのももっともなことです。

 

では、司馬遼太郎の作品群はあくまでフィクションとして楽しむべきで、これらの作品から歴史を学ぼうとするのは間違っているのか?ということになると、これはそう簡単に割り切れるものでもありません。司馬作品をそのまま史実と受け取ることはできませんが、司馬遼太郎という人は確かに鋭い史眼を持っているので、司馬遼太郎の問題意識を念頭に置きつつ司馬作品を読むことで日本史のある一面を学ぶことはできるのだ、というのが本書『「司馬遼太郎で学ぶ日本史』の主張です。司馬遼太郎の創作活動は、「なぜ昭和前期の日本は失敗したのか」「なぜ日本陸軍は異常な組織になったのか」という疑問から出発しています。これを解き明かすために書かれている司馬文学は必然的に「司馬史観」といわれる見方に貫かれることになります。本書はこの司馬遼太郎独自の歴史の見方を学ぶのに最適な作品を紹介しつつ、解説を加えています。

これを読めば多くの司馬作品の描写や人物の台詞などから日本という国家の姿、そして司馬遼太郎という人の書きたかった日本というものが浮かび上がってきます。すでに司馬作品に親しんでいる人なら作品を思い出しつつ楽しく読めますし、まだ読んだことがない人にとっては格好の司馬遼太郎作品ガイドとして役立つと思います。

 

日本史の源流としての『国盗り物語

 

本書では、司馬遼太郎という人は豪傑型の人物ではなく、参謀・軍師的な存在の視点から歴史を書くのが得意だった、と書かれています。本書ではまず戦国時代の作品を扱い、中でも『国盗り物語』を特に重要な作品として取り上げていますが、この作品では明智光秀の視点から信長という人物を描いています。猛スピードで戦国の世を駆け抜けた信長には読者にはついていきにくいものもあるので、光秀という少し中世的な部分も残した人物の視点から信長を書くことで、信長を客観的に見ることができます。ちなみに、司馬遼太郎の戦国作品では『播磨灘物語』もまた「軍師」である黒田官兵衛が主人公となっています。

 

近年の研究で、織田信長という人物は「中世的」な部分も残した、必ずしも革新的な人物ではなかったということがわかってきています。しかし本書ではやはり信長には中世的な権威と衝突する部分もあり、それが信長の新しさだったのだとも書かれています。比叡山の焼き討ちに象徴されるような信長の行動を支えているのは、合理精神です。司馬遼太郎は信長の残虐性は好きではなかったようですが、合理性については評価していました。

なぜ、司馬遼太郎は信長を書かなくてはいけなかったのか。それは、戦国時代に濃尾平野に生まれた権力体こそが、今の日本の源流であると考えられるからです。信長・秀吉・家康という戦国の三英傑を生んだ濃尾平野の歴史は、さかのぼるとまず斎藤道三に行きつきます。司馬遼太郎が「鬼胎の国家」と呼んだ昭和の軍事国家の起源をたどるとここにたどり着くので、『国盗り物語』はまず道三の物語としてスタートする必要があったのです。

斎藤道三の「後継者」である信長は、『国盗り物語』では徹底的な合理主義者として書かれています。その姿は昭和の軍隊にゆきわたっていた精神論や非合理性とは似ても似つかないものです。つまり、信長は日本人としては「異常」な部分があり、だからこそその破天荒な行動が読者には痛快に感じられるのです。坂本龍馬にせよ大村益次郎にせよ秋山真之にせよ、司馬作品は日本人離れした主人公を書くときに最も輝きます。「世間」のしがらみからつかの間自由になれる、ここに司馬文学の魅力があるということは間違いありません。

 

この信長の合理性は、人事にも現れたと司馬遼太郎は書いています。信長は人間を機能で評価しており、そのような信長に合わせるために自分をひたすら道具として磨き上げていったのが秀吉である、というのが『新史太閤記』における秀吉の人物像です。秀吉の出世物語である『新史太閤記』は、高度成長期の会社員が自分自身と重ねて読んでいました。秀吉の上昇志向は、会社組織の中で階段を駆け上がっていく日本人の姿そのものだったということでしょう。どんなベストセラーも、時代背景と無関係に売れたりはしません。司馬遼太郎もやはり時代の子だったのです。

 

合理主義精神の塊としての大村益次郎を描いた『花神

 

 このように、司馬文学を貫くひとつのキーワードが「合理的精神」です。この合理的精神の塊のような人物である大村益次郎を主人公とした『花神』が、本書では詳しく取り上げられています。磯田氏はこの作品が司馬作品では最高傑作だと評価していますが、その理由は江戸時代を明治に作り変えたものは何か、ということがこの作品において深く探求されているからです。

大村益次郎という人は兵学者であり、いわば軍事技術者です。司馬遼太郎は「革命の三段階」という考えを持っていますが、これは革命とははじめに思想家が現れ、次に戦略家の時代に入り、最後に技術者が登場する、というものです。明治維新なら思想家は吉田松陰、戦略家は高杉晋作西郷隆盛、そして技術者は大村益次郎のような人物です。

もともと医師だった大村は、信長をも上回る合理主義者です。ノモンハン事件に昭和の軍隊の非合理性を見てとり、なぜ日本の軍隊はこの様になったのかという疑問が司馬遼太郎の創作活動を後押ししていましたが、近代の日本軍を生み出した大村益次郎は、夏には浴衣で指揮をとっていたことからもわかる通り、合理主義の権化のような人物でした。時代の変革期には大村のような合理主義者が活躍するが、平穏な時代には合理主義が捨て去られてしまう、という考えが司馬遼太郎にはあったようですが、それゆえに変革期のリーダーとして大村益次郎は必ず書かなくてはいけない人物だったのでしょう。周囲とはあまり協調しない、日本人離れした人物であったことも、大村益次郎と信長の共通点です。

 

一方、司馬遼太郎の幕末作品では敗者の側の人物も結構書かれています。『最後の将軍』の徳川慶喜もそうですし、『燃えよ剣』の土方歳三もそうです。土方歳三などもまた合理精神の持ち主で司馬遼太郎が好む人物ですが、敗者の側から歴史を書くのは『国盗り物語』で明智光秀の視点を取り入れたことと同様に、一段深い視点から幕末の歴史を見るという考えが司馬遼太郎にはあったからだと磯田氏は指摘しています。

 

司馬遼太郎の幕末作品といえば多くの人が思い出すのが『竜馬がゆく』です。坂本龍馬は幕末の志士としてはそれなりに知られた存在ではありましたが、今のように国民的なヒーローの地位に龍馬を押し上げたのはやはりこの作品のようです。つまり『花神』が大村益次郎を「発見」したのと同様、『竜馬がゆく』もまた坂本龍馬を「発見」したのです。司馬遼太郎は権力そのものはあまり書こうとはしなかったということが本書では何度も指摘されていますが、坂本龍馬もまた権力の中枢にいた人物ではありません。『国盗り物語』に光秀の視点が導入されたのと同様、歴史の客観性を保つためには龍馬のように藩の枠を超えて活動した人物を書く必要があったのかもしれません。

 

明治のリアリズムの象徴・秋山真之と『坂の上の雲

織田信長であれ大村益次郎であれ、司馬遼太郎が好んで書いたのは合理主義者、リアリストでした。そして、明治を代表するリアリストが『坂の上の雲』の主人公の一人である秋山真之ということになります。『坂の上の雲』は今までの作品にも増して客観性が保たれるよう意識されており、そのことは冒頭の「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」という一説にも現れています。この「まことに小さな国」というフレーズは『坂の上の雲』のドラマ版の冒頭で繰り返し朗読されましたが、明治期の日本人は自分たちの国が列強に比べて小国であるという、「弱者の自覚」がありました。

 

明治とはリアリズムの時代であった、ということは『「明治」という国家』にも書かれています。そしてこの明治のリアリズムの体現者として、司馬遼太郎秋山真之という人物を書いたのです。司馬遼太郎に言わせると明治のリアリズムというのは、個人の利潤を追求する「八百屋さんのリアリズム」よりもレベルの高い「格調の高いリアリズム」で、当時は庶民に至るまでこの精神を持っていた人が多かったといいます。

中でも秋山真之のようなエリートはとりわけこの精神を強く持っていて、真之はアメリカに留学して軍事技術を学んでいるとき、「自分が一日休むと、日本の海軍は一日遅れる」と言うほどに意識の高い人でした。戦力を2つに分けて解説したことでも有名で、機械の力を「機力」、マンパワーや技術力を「術力」と表現したことはよく知られています。この両方がそろわないと戦力は機能しないのだというリアリズムです。

 

しかし、秋山真之・好古兄弟の活躍もあり日露戦争が勝利に終わったことこそが、実は昭和の日本の危機の原因であったということも、司馬遼太郎は認識しています。『坂の上の雲』というタイトルは、明治の坂を登りきっても雲をつかむことはできず、その坂の下には昭和の泥沼があるということを暗示していると磯田氏は指摘します。大国ロシアに勝った日本のその先を、結局司馬遼太郎は小説に書くことはありませんでした。

 

司馬作品の「あとがき」としての『この国のかたち』

 

司馬遼太郎は昭和を舞台とした小説は一作も書いていません。ただし、晩年のエッセイ集『この国のかたち』ではしばしば昭和について言及しています。司馬遼太郎の認識では、昭和という時代は明治という時代が孕んだ「鬼胎」であり、日本の歴史の中でもかなり異様で特異な時代であったと捉えられています。しかし、明治と昭和とは本当に非連続なのかと言うと、そういうわけではありません。司馬遼太郎はこのエッセイの中で、「日露戦争の勝利が、日本国と日本人を調子狂いにさせたとしか思えない」と書いています。明治の坂の上の頂点で大国ロシアに勝利したことが、昭和の転落へとつながっているということです。

日露戦争に勝利したことで日本人は一等国の仲間入りをしたと思うようになり、明治の「弱者の自覚」を失っていきます。日露戦争の軍人の多くは爵位をもらって華族となり、その姿を見た下の世代の軍人も戦争での立身出世を夢見るようになります。当然、軍縮などは考えません。司馬遼太郎が「鬼胎の時代」と捉えた昭和前期の萌芽が、すでにここにありました。

 

日露戦争の勝利に加え、『この国のかたち』で司馬遼太郎が指摘する「鬼胎の時代」につながるもうひとつの原因とは、「国家病」としてのドイツへの傾斜です。日本軍がドイツから参謀本部というシステムを導入したために、統帥権が自己増殖して国家内国家となり、やがて暴走するようになってしまったという見方がここでは示されます。海軍の軍縮が国際的な課題となった時代でも軍は民政党が「統帥権を干犯」しているとして抵抗しました。統帥権がしだいに無謬性を帯び、三権から独立し始めたことの危険性を司馬遼太郎は訴えます。このような『この国のかたち』での考察を、磯田氏は「司馬遼太郎の仕事を一冊の本として見た場合のあとがきにあたるもの」としています。なぜ昭和前期の日本はあのような国になってしまったのかという疑問から始まった創作活動の総決算が、ここにあるのです。

 

司馬作品を読み解く上で必要な「司馬リテラシー

 

司馬遼太郎作品では、ある人物の歴史的影響をはっきりさせるためにかなり人物評価が明確で、かなり単純化されています。そこが司馬作品は史実と違うといわれる原因でもあるのですが、磯田氏はこのような特徴を持つ司馬作品を読むうえで読者は「司馬リテラシー」を持つ必要がある、と書いています。つまり、司馬作品で描かれる人物はある「役割」を背負わされているのだということを意識する必要があるということです。

戦国時代であれば女性の好みでいうと信長は美しい女を好む独自の美学を持った人間であり、秀吉は上流階級の女性を好む上昇志向の人間、家康はたくさん生む女性を好む現実主義者、といった書かれ方になります。『坂の上の雲』では乃木希典という人物は彼の下で指揮をとった幹部まで含めて無能だったという書き方になりますが、あくまで「この表現が日露戦争における役割という限定された意味であることを理解して読むべき」だと磯田氏は指摘します。話をわかりやすくするために単純化された人物像が必ずしも史実そのままの姿ではない、ということを念頭に置いておくことは重要です。

 

子供に読ませたい司馬遼太郎作品は?

 

二十一世紀に生きる君たちへ (併載:洪庵のたいまつ)

二十一世紀に生きる君たちへ (併載:洪庵のたいまつ)

 

 

本書のあとがきでは「21世紀に生きる君たちへ」というエッセイを紹介しています。これは、小学校の国語の教科書にも載ったものです。司馬遼太郎がここで強調しているのは日本人の強みである「共感性」を伸ばすこと、そして自己を確立するということです。共感性の強い人物としては緒方洪庵、自己を持っている人としては秋山真之黒田官兵衛のように周りに流されない強固な意思を持った人を司馬遼太郎は書いてきました。英雄ではない緒方洪庵をここで取り上げていることは印象的です。司馬作品は英雄史観と言われがちな面もありますが、司馬遼太郎自身は英雄ではない人物にもしっかりと目をむけていたことがわかります。子供たちに洪庵のような人間になってほしいと願っていた司馬遼太郎は、自分自身は生きて21世紀を見ることはないだろうとも語っていましたが、事実その通りになりました。

本書には取り上げられていない名作も多い

 

 

このように多くの司馬作品を紹介している本書ですが、あくまで「日本史を学ぶ」という観点からのものなので、司馬作品のブックガイドとして見るなら取りこぼしているものがあるのも事実です。直木賞を受賞した初期の名作『梟の城』についても触れられていませんし、古代中国を題材とした傑作『項羽と劉邦』についても一言もありません。『梟の城』は忍者を主人公とする時代小説ですし、『項羽と劉邦』は中国が舞台なので本書のテーマからは外れるということでしょう。冒険小説のような趣もある『韃靼疾風録』も中国が舞台ですし、『義経』は時代が古すぎて日本史を語る材料としては使えないと思われたのかもしれません。その他、まだまだ取り上げられていない作品が数多くあります。

なにしろ司馬作品は数が多いので、このような新書一冊ではとても紹介しきれるものではありません。ですが、司馬遼太郎という人の歴史の見方、問題意識を学ぶという点から見れば、この『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』は大いに役立ちます。これから司馬作品に触れてみたい方、あるいはすでに司馬ファンの方にとっても学ぶところの多い一冊と思います。